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Vol.166
自分だけ“しあわせ”なら良い!?
恒石真理さん
 みなさん、こんにちは。とっても、お久しぶりです。
 『聞く 語る』WAKUWAKUのつどいに出るのは、今年、初めてですが、地味に、私なりに、「在家仏教こころの会」を発信してきて、ちょっと嬉しいことがありました。

 元同僚で、この3月に移動された人がいるんです。その方は女性で、私より5つか6つぐらい年上で、50歳ちょっとぐらいの先生です。3年間、一緒に働いたんですが、頑張りすぎちゃって、病気をしたり、仕事もしんどくなったのと、家庭でもいろんなことがあって……。
 いろんなことが重なって、心療内科とかに通いながら、なんとか復帰して、少しずつ慣れていって、その先生も最後の1年間は本当に自分らしさを取り戻して、3月の移動で別の学校にかわったんです。
 その先生が心療内科に通っている時、診察が1分足らずで薬だけくれるみたいなことを聞いて、私は「絶対、やめたほうがいい!」って、ずっと言っていたんです。だけど、それでも続ける、薬がないと不安で眠れないみたいな感じで、私の中では“ちょっと違うと思うけどな”って思うけど、いくらそう思っても、本人が聞き入れる気持ちがないので、ずっと継続されているような状態だったんです。
 それで、私からは押さずに“待つ”という姿勢を心がけながら、ずっとつながり、関わりをもち続けてきました。そうしているうちに、その先生もだんだんと、自分で“こうしよう”、“こうだ”っていう気持ちになってきて、「病院に通うのもやめて、やっと動き始めた」って、そうなってからは本当に回復が早かったんです。
 自分のこころに余裕ができてきたので、家族、家庭での問題もだんだんと落ち着いてきて、「いろんなことがあったけど、今は周りの人とか、家族とかに、本当に感謝しかない」、私にも「ずっとつながり続けてもらえたことが本当にありがたかった」と言ってくれるようになりました。

 で、私も『こころ菌』(春秋社刊/久保克児著)の絵本で、“あっ、今はこの言葉がいいかなぁ”と思うのがあったら、それを写真に撮って、LINEで送っていたんです。そしたら、その先生は「魔法の言葉」の“ありがとうは魔法の言葉”というのに、えらく感動して、新しい学校に行って、その詩を使った授業を生徒にして、それでまた、生徒もえらく感動してくれて。
 今はコロナであんまり会えないんですが、5月に少しだけ会った時に『こころ菌』の本をプレゼントしました。それを見た時に「本当にこころが穏やかになれる」って。「日常の“なんで、なんで?”って思うことが何でもないように思える。今日も頑張る!」って返事がきたんです。

 今までの私は、こころの会をやっている自分があるから“今”なんだけど、それを“誰にも伝えたくない”みたいな……。何て言ったらいいのか? しあわせだけど、“自分よりもっと、他人(ひと)がしあわせになった感じはイヤ!”みたいな、“自分さえしあわせだったらいいわ”、みたいなところがあったんです。で、“つながるのはこころの会の人たちで、本音を話せるのはこの人たちだけでいい”じゃないけど……。
 だけど、やっぱり、そういう先生との関わりがあって、押してもダメな時は待つということで、“待つことが一番、大変だな”と思ったし、“きっといつか、また、自分で動けるようになるし、もとに戻るようになる”って。そういうことをこころで願いながら、ずっと、つながり続けることで先生がどんどん回復して、元気なこころを取り戻したのを見た時に、やっぱり、すごく嬉しかったし、“支え支えられて、生きるって、こういうことなんだ”と実感しました。
 今までの自分だったら、多分、相談されたら、アドバイスするじゃないけど、どっかで上から目線の自分になっていたけど……、“他人(ひと)のしあわせを喜べる自分”になりました。