film
始まりはみそ汁
井上芳子
主人と私は、鹿児島と岐阜で、本当に喧嘩、絶え間なかったです。岐阜は黒い味噌汁だったので、鹿児島は白味噌ですよね。その味噌汁から最初、喧嘩がありました。
 「こんな黒いドロドロのものが飲めるか!」っていうことから始まってね、いろんなことが噛み合わなくて、いろいろ言い合いが始まって、子どもができ、子どもたちの前でも喧嘩を見せてきました。
 でも、今、ようやく、気がつくことができました。

 それは、なぜかと言うと、やっぱり、主人の話を、私、聞かなかったんですよね。“また、言ってるかな”、“まだ、なんか言ってるかな”っていうふうで、受け止めることをしなかったんですよ。でも、ちょっと前から、主人の言うことを受け止めるようにして、聞くようにしたら、主人の生い立ちがねぇ、わかってきたんですよ。
 主人は、本当に小さい時から家庭の中を支えながら、小学校の頃もアルバイトし、中学校もアルバイトし、高校もアルバイトし、本当に家を支えながら、5人きょうだいでやってきた、主人だったんですね。で、やっぱり、しっかりしていて、“自分はできるんだ”っていう、そういう自信をもっていたんですよね。だから、私にも、そういう言い方をしていたんです。

 私は5人きょうだいで一番下で、一番上の兄とは12歳、違っていたんですよ。本当に可愛がられて育ったものですから、結婚した時は、まぁ、好き同士で結婚したんですけど、途中から“どうして、こんなふうになるんかなぁ?”と思って、辛くて、辛くて……。本当にねぇ、我慢していたんですよね。
 それでやっぱり、私も子どもの頃をいろいろと思い出すと、父は身体が弱くて、母は父の食事を作ったりなんかすると、父がお膳をバーンとぶち返したりなんかする姿を見てて、“ワー!”と思ってたんです。
 だけど、今、思うと“父も辛かったんだろうな”って。また、母も言えない。“父に対して、言えなかったんだろうな?”、“我慢していたんだろうな”と、父母の思いがすごくわかるようになってきました。
 だから、今、私も言いたいことを主人に伝えながら、主人に“伝わるまで話そう”と思って、また、主人が言った時には“私が受け入れるようにしようかな”って。そういうふうにしましたら、少しずつ、なんか自分も変わってきて、主人も変わってきたような気がするんです。

 今、本当にねぇ、まだまだ、たまに“キッ!”とくる時もあるんですけれども、“すぐ起き上がれる自分”になってきました。
 で、本当に、主人とは結婚して56年に……、なるのかなぁ!? “結婚して良かったなぁ”っていうね、本当に結婚して良かったと。これからは2人で仲良く、支え合いながらいきたいなぁと、今、思っています。
 それで、娘が、私が前にやってきたことをやっているんですよね。今、娘たちの夫婦間の様子をいろいろと見ていると、本当にねぇ、なんかわかるんですよ。“私の若い頃と一緒だわー”って。
 それで、まぁ、娘たちには「こういうことは大目に見て、ちょっと仲良くなれるようにするといいよ!」とか、言いながら、反省の意を込めて、娘たちには話しております。
 だから、私も本当に、“在家仏教こころの会に入らせていただいて、よかったな”っていう気持ちで、今、いっぱいの気持ちでおります。
Copyright©2023