最近、もの凄く嬉しいことはね。息子が独り立ちしておるんですけど、毎月一回は、家内の料理か、焼き肉屋に行って、食事して話すんです。
以前は、家内と息子が話してる時に、自分が途中で入りたいから、癖で「ちゃうちゃう」、「ちゃうちゃう」言うて、すぐ入って、自分がしゃべるんですよ。
それが最近、息子に聞いたら、もの凄く、息子はイヤだったらしいですわ。“否定されてる”と。否定するための「ちゃうちゃう」じゃないんですよ。自分がしゃべりたいから、「ちゃうちゃう」ちゅうて、入るんですけどね。ほんで、実際は、ごつい上から目線で、否定をしてましたんですけどね。
だから、私の言うことに対しては、息子も反発しよるんですよ。「ちゃうちゃう」で入るから、そやから反発して、ケンカみたいな……。店の人も聞いとったら、“ケンカしてんちゃうか?”というぐらいにね、声は大きくなるし……。
でね、最近、その焼き肉屋で、息子が私に言ったことがあって、それは何か言うたらね。「親父が俺の話を聞いてくれるから」と。これはね、“在家仏教こころの会”になってから、私も変わってきたみたいです。
「親父が俺の話を聞いてくれるから、俺も親父の話が聞けて、話ができるようになったわ」と、息子が言うてくれたんですよ。
その時ね、私、気づかしてもうたんは、「『聞く 語る』 しあわせになる」というスローガンですか、それが出た時に、久保克児副会長が「聞くが先か? 語るが先か?」と、ほんで、「やっぱり、聞くが大事や」と。
それを思い出してね、私も「聞く」と。
“私が聞いてやれば、息子も聞けるようになるし、話せるようになる”と気づかしてもらいまして、“あー、やっぱり、聞くって、大事やなぁ。やっぱり、聞くから始まるなぁ”と、ちょっと、気づかせてもらいました。
また、それをつどいとかで、話をさせていただくうちに、“そうや、俺、聞く大切を息子が教えてくれたのに、息子に「ありがとう」って言ってないな”と思いました。
今まで、家内でも、娘でも、息子でもね、私は「ありがとう」なんて、そんなかっこ悪いこと、かっこ悪いちゅうか……。こころでは思っていましたよ。でも、はずかしいとか言うかね。それで絶対、口には出してこなかったんですわ。
“それではアカン”と思いまして、先月の27日、息子の夫婦と私ら4人で焼き肉に行って、その時に、“よし、もう、今日は言わしてもらおう”と思って、息子に「おう! シンジ。オレな、『聞く』という大事さをお前から教えてもろたわ」と、「ありがとう!」って言うたん。
そしたら、息子も「いや、俺も親父から教えてもろたで」っていう話になって……、もう、ものすごね、まあ、それで一応、息子に対する「ありがとう」が言葉に出せたと。
ほんで、最近はね、息子が私に、ものすごね、昔の話と言うんか……、息子の方が上みたいな言い方で、私を癒してくれる言うんか……。「親父は田舎から出て来て」って。
私、昭和41年に、15歳の時に徳島の山奥から出て来て、ほんで、親戚も何もいないから、確かに、ひとりぼっちやったんですよ。
ほんでね、今、息子が40歳やけど、息子が家内に「親父、ひとりで」って、言うてくれるんですよ。「そりゃ、ひとりで、寂しかったんやで。よう、そんだけね」っていうような話を、息子が私にしてくれるんです。
それが今、私はものすごく、快いと言うんか、息子がね、親父を思うこころになれたというのが、ものすごく嬉しいです。