主人のお父さんが脳からきている障がいで、精神科にもかかっている病気なんです。何年か前に、脳梗塞を起こしたりもあって、身体的な障がいもプラスされています。
私は結婚してから、どんどん、お義父さんと仲良くなって、気持ちも近くなっていく中で、私はお義父さんの可愛いところを知ることができたから、“可愛いな”って思えるし、“これもしてあげたいな”、“あれもしてあげたいな”って気持ちがでてくるっていうのも、わかってきました。
最初にお世話になった施設では、最初はすごくよくしていただいていたんです。それが、日が経つにつれ、お義父さんの病気は、お薬をちゃんと飲まないとすごく波があって、暴れることはないんだけども、まあ、壁をちょっと叩いたりっていうことがあったりして、「他の人が怖がる」とか言って……。
その施設のおばちゃんに言われて、最初、「あぁ、そうですか」って聞いたのがきっかけで、そっから、もう行く度に、「今度は、こんなんした、あんなんした」、「困ってる、みんな、困ってる」って、「お義父さんのこと、大事にしなあかん」って、言うんですよ。
で、「お義父さんのこと、愛してあげて」って、言うんですよね。私は“何を言ってるの!”みたいなふうに、スッゴイ、もう、カーってきて、でも、“お義父さんのことをよくしてほしい”と思っているから、そんなことは言えないんです。
こころの病とかをもっている、目には見えないものをどうやったら……、せめて、その施設の中にいる人たちだけでも、理解をしてほしい……。別に、可愛がってほしいわけじゃなくって、もう少し、「何で、そんなことしたん?」って聞いてくれるだとか、“だったらいいのに……”って、ずっと、思いながらも、私も、主人も、ずーっと、我慢をしていました。
でも、もう仕方ないから、ケアマネジャーさんに、私もとうとう電話をして、「どんだけ遠くても、私たちは行けます」と言って、「そこまで、できます」とお願いをして、今は遠いけれども、ホントに、病気を理解してくれる看護婦さんがいて、「この人は、このタイプだからね」なんて、軽く言ってくれるんですよ。「あぁ、はいはい、湯澤さんね」みたいなふうに、言ってくれるんですよ。
“あぁ、あったかいなぁ”と思って、やっぱり、あったかいいところにいると、お義父さんも変わってくるんですよね。この前、たまたま、私が行ったら、運動会をやっていて、まぁ、“運動会には、いないだろう”と思っていたんです。
べつに、運動会に行ってほしいとかはなかったけど、「聞いてください、湯澤さん。あそこに、お義父さんが入っているんです」、「えっ! ほんまですか!?」って言って、“えっ、うそー、うそー”と思って行ったら、輪の中に、自分よりも年を取った人たちと一緒に、みんなと同じはちまきをして、風船のバレーボール大会をやっていたんですよ。
で、お義父さん、めっちゃ、真剣にやっていて……、それを見て、なんかね、自分の子どもを見ているような感覚で、“あぁ、お義父さんが今、そこにいて、バレーボール、一生懸命、やっている”と思うと、すーごく嬉しくて。
私は義父(ちち)と知り合うことができなかったら、きっと、その施設のおばちゃんと同じように、「お義父さんのこと、愛してあげなあかんのちゃうん」とか、「寂しいんちゃうん」みたいな、“そんな言葉で片付けてたんちゃうかなぁ”と思うと、“いやぁ、よかった”みたいな感じですよね。
だから、みんなにも、そのお家にしかわからない、そういう深い、深い気持ちとか、なにか事情があって、寂しさや愛情やそういう言葉だけで、やっぱり、片付けてほしくないなって。ホントの、こころから、理解をしてほしい。