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78歳生きるよろこび
松田由利子
2年前、60年連れ添った夫がむせるので、ちょっと病院に行きましたら、突然、「もう肺がんの末期です。1ヶ月、もつかどうかわかりません」と言われました。コロナ禍の真っ最中だったので、「いいです。私、福祉の仕事をしていましたので、私が家で看ます」と言って、自宅で病院のような設備をさせていただいて、看させていただきました。
 それが8月で、孫も子どもたちもみんな夏休み中だったので、毎日、「お父さん 、お父さん」と言って、看病をさせてもらって、10日で逝ってしまいました。それも本当に穏やかに、全然、苦しまないで……、ずーっと、お祖父ちゃんのお風呂の介護をしてくれた孫には「ありがとな」と言って、私には「じゃあな」と言って、逝ってしまいました。
 夫が亡くなると、“私、この世に生まれて、生きている意味がもうないんじゃないか”って……。そう思ってしまうと、もう、死ぬこときり考えないんです。亡くなられた久保継成初代会長、久保克児副会長もよく「自殺はいけないんだよ」って。“確かに、親からいのちをもらって、自殺しちゃいけないんだ”と思ったんですけども、“ああ、ここのベランダに椅子を置けばいいな”、“この鴨居に紐を吊ればいいな”と、そう思っていたんです。

 それで、みなさんからいろいろ話を聞かせてもらっていますけど、死んじゃったらお終いなんです。みなさん、どうぞ、生きているうちに、ご夫婦の仲、親子の仲、嫁さんとの仲……、本当に、寂しいです。もう寂しくて、寂しくて、どうしようもないんです。けれども、やっぱり、寂しくても、生きていかなくちゃならない。
 私も“これじゃしょうがない”と思って、有料老人ホームがあったので、そこに駆け込んで、長男、長女を連れて、「お母さん、ここでお世話になりたい」と言いまして、即入所が決まり、老人ホームに入りました。
 その老人ホームの中で「松田さんが挨拶した時の笑顔が素敵だから、私と友だちになって」と言う人が、私の部屋に飛び込んで来ました。で、その人は「息子と娘にここへ入れられちゃったのよ」と言って、途切れもなく、毎日、毎日、私の部屋へ来て、ずーっと、話しているんです。なにしろ、私の口の差し込む暇がないんです。
 私も、今までの私だったら「こうだよ」、「ああだよ」って、ついつい、上から目線で助言をしちゃうんですけど、その隙さえも与えずにずーっとしゃべって、私も「そうなんだ」、「大変だったね。そうだったんだ」って聞いていました。

 丸3ヶ月、ずーっと、聞いていたら、その人が元気になっちゃいまして、「松田さーん! 私、もういいよ。ここで、松田さんと一緒にやっていくよ」って。今でも夜の7時になると電話がかかってくるんですけども、「松田さん、今日も一緒に頑張れたね。明日も頑張ろうね」、「そうだよね。一日一日だよね」って。今、彼女に勇気づけられて、私、今、今日があります。
 今日はここに来られて、本当に嬉しいです!
 懐かしくて、懐かしくて、私、やっぱり、生きていて、良かった!
 みんなに会えた!
 なにしろ、もう、私、いつ死んでもいいんですから、こんなに強いことないです。ですから、二本杖、突いて、つどいにも呼ばれるし、“私にもなにか仕事ができないかなぁ!?”と思いましたら、「ボランティアで人を集めています」と言うので、そこにも早速、行き、社会福祉協議会のボランティア活動で『聞く 語る』ではないけども、「話を聞くだけですけど」と言って、“お話を聞く会”とか“絵本の読み聞かせ”とか、私にできることを今、やらせていただいております。
 それも、ここで、みなさんに、在家仏教こころの会の『聞く 語る』を教えていただいたから、なんとか、生きる望みが湧いてきました。本当にありがとうございます!
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