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しあわせって…。
服部高佳
 在家仏教こころの会の青年の活動をさせてもらったことがきっかけで、“そうやって、みんなで集まって、なんか楽しくするのはいいなぁ”と。
 大学生の時は宇都宮っていう所に住んでいたものですから、東京まで新幹線で1時間ぐらい、在来線を使うと倍の1時間半から2時間ぐらいかかる。だけど、やっぱり、集まりに行くことが楽しくて、みんなと一緒に活動することが楽しくて、行っていたんです。
 でも、だんだんと自分の住んでいる所でそういう場がないっていうことが、“なんか、寂しいなぁ。自分がそういう場をつくりたいな”なんて思いながら、大学生活が終わって、“じゃあ、ちょっと、そういう場を自分でつくろう!”って。

 自分はみんなと飲んだり、しゃべったりすることも好きなので、そういう飲み会を探して、そこに一人で行って、ワイワイやりながら友だちになって、連絡先を交換させてもらってということを1年……、1年半……、2年と続けていくうちに、結構な人数の友だちができました。
 その中で「こういう集まりをしたいんだ」って言った時に、「やろう!」と言ってくれた友だちが一人いて、その子と一緒に、自分主催の集まりをするようになりました。で、やってきて、どんどん、大きくなっていったんです。
 その時はそれがすごく楽しくて、自分自身もいろんな人と会うので、“あっ! いろんなことを経験している人がいるんだなぁ”っていうことを知ることができて、すごく楽しかったです。
 で、ずーっと飛んで、現在、どうなのかっていうと、長く付き合えば、付き合うほど、こころの会の教えにふれてほしいなと。“そのうち、一緒にこころの会の会員として、共に歩めるタイミングがくるのかなぁ”というふうなことを思いながら、一緒に時間を過ごしたりするっていうことをやっていたんです。

 そういうような話を昨日、この場で話させてもらった時に、先輩たちから「こころの会をすることが人生の目的ではなくて、しあわせになることが目的であって……」、で、その“しあわせってなんだろうな?”って。
 僕にとっての“しあわせ”と、友だちにとってのしあわせ感っていうのも、まったく違うっていうところとか、いろいろと考えていくと、こころの会に入る、入らないとかではなくて、その人が“しあわせになっているなぁ、楽しそうだな”っていう姿を自分自身が見た時に、“嬉しいな”と素直に思える自分になったら、“自分がしあわせじゃないかな”っていうふうに思うんです。
 でも、“思うんです”で、終わっているんですね。一緒にしあわせに、“お互いがしあわせだね”って思えるようになったらいいなぁとも思うし、それを今度は思うだけではなくて、自分自身がそういう思いで行動した時に、初めて、今日ここで言っていることが、自分なりに、本当に“こころに落ちたんだなっていうことが確認できるんだな”と思っています。
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