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カッコわるい おかけで
渡邉哲也
 故久保克児副会長と直接、お話したことはほぼ無いんですよね。でも、おかげさまで、何年前やったかなぁ? 「しあわせになるビデオクリップ」に出させていただいたことがあったんですよ。
 で、その時に「僕は変わっていきたい」って、「今までこうやったけど、こういうような気持ちに変わっていきたいと思います」というんで終わったと思うんですよね。
 その後に久保副会長がお話をしてくれていて、最後に「いや、渡邉さんは変わらなくてもいいと思いますよ」っていう感じのことをおっしゃられていたんですよ。
 そのことが“あれっ? 俺、こういうふうに変わっていかなあかんと思っているけど、変わらんでもいいってどういうことなんかなぁ?”というのが、ずーっと、頭に残っててね。“短気のままでいい訳はないのに、変わらんでいいってどういうことなんかなぁ?”と、それをもう何年もずーっと考えていたんですよ。
 そういうふうに“このままじゃあかんのんやって思っていることを変わらんでもいい”って、おっしゃってたんかなぁと思ったり、“なんでこういうことをおっしゃられたんかなぁとか考える”ことを教えてくれはったんかなぁと思ったりしてね。

 僕はものすごい短気やって、それが苦しくて怒りたくないけども、腹が立つと。“これはなんでなんかなぁ?”って、ずーっと考えているうちに“こうかなぁ、 ああかなぁ”というのがいっぱいでてきて……。
 結局、気が小ちゃいんですよね。
 で、気が小ちゃいから心配になる。心配になるから、安心できるまで何でもやる。そういう努力はできる、できた。それで、努力してきて、そこそこできるようになってきたら、なんか、そこで天狗になってしまった。
 まぁ、仕事で言うたら、大工なんで「俺はできるんや!」みたいなことを言っているけども、みんなやり方が違うから「それはこうやないか!ああやないか!」って言われたら、「いや、俺のやり方は!」とか言うて。“自分を認めてもらえない言葉に対して、自分のもっている自信があるから受け入れられずに反発して、怒ってきてたんちゃうかなぁ?”という気がしてきてね。

 でも、考えてみりゃ、気が小ちゃくて、心配やから納得できるまで努力できたってことは、“気が小ちゃかったから、努力できたんじゃないんかなぁ”と思えてきて……。
 気が小ちゃいんで小心やっていうのは、なんか、男として“カッコわるいな”っていうのがものすごくあったんやと思うんやね。
 でも、“それのおかげで努力できてたんや”と思えたら、この“気が小ちゃいおかげもあるんやなぁ”って思えて、自分の嫌いなところやって思ってたことが、実は“それのおかげでできたんや”って思えて、ちょっと、恥ずかしいっていう気持ちが減ってきたんやね。うん。だから、そういうふうなことを考えさせてくれていた、「考える」ように教えてくれてたんかなぁって、また思えて、嬉しくなったんで話させていただきました。
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