仕事が忙しいので、ぴりぴり、ぴりぴり、していました。遅く帰って来ても、嫁や子どもが起きていると、いろんなことを話したがるんですけど、僕も忙しいので聞けないんですね。「もう、ええから、ええから」という感じでいたんです。
つい最近、一番下の子どもが1歳、もうすぐ2歳になるんですけど、寝付けなくてですね。母親が寝かしつけるのに、寝室へ連れて行くんですけど、何度も、何度も「お父さんと寝る」と言って……。こんなこと滅多にないんですけどねえ。お父さん、あんまり、好かれていないんで……。
“珍しいなぁ”と思って、ほんで、まぁ、ちょっと遊んで、“気が済んだかなぁ”と思ったら、母親のところに連れて行くんですけど、また帰ってくる。
で、“なんでだろうなぁ”と思いながら、眠たいんだけど、寝られないんで、しょうがない、最後はおんぶして、ずっと、寝るのを待っていたんです。僕も目を通さないといけないものがあったりして、早く寝てほしいんですけど、そういうイライラした気持ちでずっといたんです。
だけど、子どもが何度も、何度も僕のところに来て、“一緒にいてほしい”みたいな感じで、最後におんぶして、寝付くまで、ずっと、考えていましてですねえ。
僕自身は一旦、外に出て、仕事の世界でいくと、やっぱり、今、競争社会っていうんですかねえ。勝ち組になるために、一生懸命、生き残らなきゃいけない努力ばっかりさせられているっていうんですかねえ。それを一生懸命、やっていてですねえ。
それで、やっぱり、家の中にそういう価値基準みたいなものを持ち込んで、その基準でもって、自分の時間の使い方を家族に当てはめているから、家族が自分に対して要求していることに応えられない。
子どもを寝かしつけている間に、ただ15分位でしたけど、全然、まあ、全然じゃないですけど、僕になついていない子どもが僕のところに来てくれたことをきっかけに、自分の思っている“外で絶対と思って、頑張ってきた価値基準”が、家の中では、全然、家族には受け入れられなくて、“それじゃ、やっぱり、家族がうまくまわらないんじゃないか”と。そういうことに、ふと、気づくことがありました。
それ以降、子どもの話なり、かみさんの話を、少々、要領がわるい話でも、最後まで聞くようになりました。
で、やっぱり、真ん中の子どもが今年、小学校に初めて上がって、ホントにいろんな環境が変わって、いろんなことを話したかったんだなぁというのが、やっと今、もう2週間も3週間も経ってですけど、わかるようになりました。
自分の生き方として、やっぱり、子どもたちに、自分は「仕事を頑張って、勝ち組になるために、頑張らんといけんよ」というのを、もしかしたら、このままいっていたら、そういうことだけを伝えていたかもしれなかったんですけど、“それじゃあ、いけないのかなぁ”というのを、少し感じることができました。