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ボクと父
土田彰彦
 去年、「トライアングルネットワーク(在家仏教こころの会の福祉活動)」という話を聞かせてもらって、その時に「障がいは個性や」と聞いたんです。そこで、僕はすごい衝撃を受けました。
 今までそういう考え方をしたことがなくて、“えっ?”って思いました。例えば、車イスの人を見たり、身体に障がいをもっている人を見たら、僕は哀れみの目で見るような目線で見ていたと思うんです。だけど、「障がいは個性ですよ」って言われた時に、自分の考え方が根底から覆されたような気がして、それと同時に目から涙が出てきました。
 なぜかというと、自分の父親のことを思ったんです。

 僕は一人っ子で、母と父がいて、父は中学を出てから関西汽船に勤めていました。でも、実をいうと、片目が見えなくて、片耳も聞こえない父だったんです。目が見えないのは、父が幼い頃、矢の遊びをしていて、目に当たったらしく、片目が見えなくなったみたいです。耳は、父は水泳がうまく泳ぎすぎて、鼓膜が破れて、処置が悪く片耳が聞こえなくなったみたいです。
 僕はそういう話を聞いていたけど、父はそういう素振りを僕に見せたことは一切、なかったんですね。ほんで、僕はどちらかというと、父のことをちょっとバカにしたところがあって、大きくなってからは“あんなオヤジみたいにはなりたくない”と思っていたこともあったんです。
 でも、トライアングルネットワークの話を聞いた時に、“ひょっとしたら、父は片目が見えなくて、片耳が聞こえなくて、ハンディキャップを背負っているけど、そういう素振りを見せないで、僕を育ててくれたんじゃないかなぁ”と……。“ひょっとしたら、父はそういう偏見をずっと味わって、中学を出て会社に入って、会社勤めをしながら、生きてきたんじゃないかなぁ”と……。
 そういう父の気持ちを思った時に、僕はオヤジの気持ちが、本当にわかったような気になりました。ほんで、“自分はやっぱり、そういうオヤジがいて、僕がいるんやなぁ”と実感できました。だから、これから「気づかしてもらえる“生き方”」をしていきたいと思います。

 今、家族6人、私と家内と子ども2人と、父と母と同居しているんですけど、父は定年になって、今は家に居ます。ずっと船乗りやったんで、家には居なかったんですけど、定年してからはずっと、家に居るようになりまして、母とよく罵り合いをしております。父は細かい人で、母は大ざっぱな人なので、細かいことでよくもめて、二人が罵り合いをしています。
 そこをなんとか、僕は間に立って、“第三者の立場”にはなれないんですけど、やっぱり、父の話を聞いて、母の話を聞いて、家庭みんなでしあわせになれるような生き方をしていきたいというふうに思います。
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