No.81

“共に生きる”

埼玉県行田市 山田政行(59歳)

自分って?

 ある日、うちに新聞屋さんが営業に来たんです。
私と長男しか居なくて、新聞屋さんは「どうですか?」と勧めたんですが、別の新聞を取っていたので、「うちはいいよ」と断りました。

 だけども、新聞屋さんがしつこく「どうですか?」と言うので、手でしっしっとやりながら、「いらない、いらない」と言ったんです。そのやりとりを見ていた息子が、「もうちょっと丁寧な断り方をしたほうがいいんじゃねぇの」と、私に言ったんです。

 ふと、その光景が“以前にも似たようなことがあった”と思い、“いつだったかな?”と考えると、自分が若い頃でした。 うちのオヤジも気が短くて、しつこく言われると手でしっしっとやりながら、「いらない、いらない」と言う人だったんです。

オヤジの姿が思い出されて、私は言葉に出さなかったけど、オヤジに対して、“もう少し丁寧に断ってやればいいのに”と思ったことがありました。そこで、“あれ、俺もオヤジと同じことをやってるんじゃねぇか”って、そこから、私の「自分って?」というのが始まったんです。

俺もどうするかな?

 もう十年ほど前の話になりますが、長男は高校を卒業して就職したんですが、一ヵ月もしないうちに仕事を辞めてしまったんです。その後も職を転々とする息子に、妻は“なんで?”“なんで!”と悶々として容易じゃなかったんですが、私も同じ思いでした。

 だから、息子に対して上から目線で、「俺も仕事をマスターするまでは、親方に怒られながら仕事を覚えてきたんだ!」と。私は電気の配線や照明器具を取り付ける電気工事士をしていて、息子の話を聞かず一方的に「しっかりやれよ」と言ってきました。

 そのうち、だんだん、息子が話さなくなってきたんです。そして、そうこうしているうちに、私自身が二十年近く勤めてきた会社の経営が傾いて、倒産してしまったんです。それで、私も失業してしまいました。

 とりあえず、働いた分の給料はもらえたし、失業保険にも入っていました。でも、急なことだったので社長を恨んだというか、“早めに言ってくれれば、よかったのに”という思いがありました。

 また、当時は高校に通う娘もいて、“弱ったな”という焦りと、親としてなんとも不甲斐ない気持ちを強く感じました。それで、息子から逆に、「お父さん、どうするの?」と聞かれると、「俺もどうするかな?」と。私自身、仕事がないので、息子に対して強くは言えなくなってしまったんです。

息子と仕事を探す中で

 息子とハローワークに行くようになり、私は失業保険の手続きをしながら、仕事を探していました。息子もハローワークにあるパソコンを使いながら、仕事を検索していました。

 始めは、息子と「ああでもない」、「こうでもない」と、くだらない親子ゲンカをよくしていました。だけど、“仕事を探している”という共通点から、徐々に、お互いに話をするようになりました。

 そして、「ここは給料がいまいちだけど、環境はよさそうだ」、「こっちはどうだ?」と情報を分かちあうような状況になって、会話がだんだん増えていったんです。でも、当時はリーマン・ショック後という社会情勢の影響もあってか、私は面接を受けても年齢などを理由に断られ、仕事がみつかりませんでした。息子もまた、仕事がみつかりませんでした。
たまたまですが、親子で同じ苦労を共有していく中で、“息子も大変だな”と思える自分になって、気がつけば、親子で対等に話せる関係になっていました。

 それで、息子に「なんで、仕事を辞めることになっちゃうのかね?」と聞くと、息子は「人間関係がうまくいかなくて、特に上司とうまくいかない」と言ったんです。息子は上司にきつい言い方をされると、気にして、引きずってしまうんです。それで、仕事に行きづらくなり、結局、会社を辞めていたことがわかりました。

 息子の話を聞きながら、“自分と同じだな”と。私も人から強く言われると引きずるタイプだったので、それが原因で若い時に仕事を変えたことがあったんです。最初は“息子をどうにかしなきゃ”という思いで、息子の話を聞いていました。

でも、“自分はどうなんだろう?”、“自分はどうしたいんだろう?”という自分の課題になっていきました。そして、“自分はどうして、仕事を続けてこられたのかな?”と考えて、息子に「会社に行くといろんな人間がいて、そのいろんな人間を見ているだけでもおもしろいよ」と言ったんです。

大切なものはなにか?

 失業中のある日、公園を散歩していたら、路上生活者が「タバコを吸いたいんだけど」と、声をかけてきたことがありました。 でも、喫煙ができない公園だったので、私が「ここでは吸えないですよ」と返事をすると、そこから会話が始まったんです。

 その人は、「昔は羽振りがよかったけど、事業に失敗して、ダメになっちゃったんだ」と言い、「家族はいたんかい?」と聞くと、「いたけど、妻とは離婚して、今、子どもはどこにいるかわからない」と。
そして、会話の最後に「俺は自分のことを不幸だとは思わない。人間、その日、食べられる分だけのお金があれば、なんとか生きていけるんだよ」と言ったんです。

 私も失業するまでは、それなりの給料をもらっていました。だから、ハローワークで仕事を紹介されても、やっぱり、“どのぐらいもらえるのかな?”と業務内容よりも先に、給料に目がいっていました。
でも、その人の話を聞かせてもらって、“そういう考え方もあるんだ”と思えて、“高額な給料を得ようと思うと大変だけど、家族が食べていけて、一緒にいられればいいじゃないか!”って。

 そこでなんかふっきれて、“働くことを第一に、考えよう!”と思えたんです。それから、二年ほど知り合いの電気屋さんの手伝いに行き、収入を得ていました。でも、以前、勤めていた会社で工事部長だった人から電話があって、「人が必要だから、手伝いに来てくれないか」と言われたんです。始めは手伝いのつもりで行っていたんですが、だんだん忙しくなって、今もそこで働かせてもらっています。

〝共に生きる〟

たまたまですが、親子で同じ苦労をしたことで、息子と「聞く、語る」ことができて、お互いにこころがほどけてきて、私の中に“この息子と共に生きる”という気持ちが芽生えてきました。今だから“こころがほどけてきた”という言い方ができますが、もちろん、当時は必死でした。

だから、周りの人から「プラス思考で考えた方がいいよ」と言われても、現実の苦しさの中に入り込んでしまっていた私は、プラス思考にはなれませんでした。でも、“自分のこころが折れずにやってこられたのは、なぜだろう?”と考えると、やっぱり、“話を聞いてくれる人がいる”という安心感がありました。

また、私が失業したことを知り、毎月、毎月、求人情報を送ってくれた人もいました。そのことも“ひとりじゃない”という気持ちになり、いろんな人がいろんなカタチで、私を支えてくれていました。私の場合は、失業して初めて息子の大変さに気づけて、そこから、支えられて生きている自分にも気づくことができたんです。

 生きていくこと自体、本当に苦しいことですが、その中から何かに気づいていくことがなければ、私はムダな苦労だと思います。その気づくことの大切さを、私は在家仏教こころの会から学びました。

 私ははじめ、息子は息子、自分は自分、と別のことのように考えていたんです。だから、息子に上から目線で、「お前、違うぞ。ダメだよ」と指図してきました。でも、“共に生きる”というのは、相手の話を聞いて、課題を解くためにはまず“話を聞いてくれる人”が必要なんです。

その“話を聞いてくれる人”と一緒に解決策を考えていくんですが、結論を出すのは相手で、いいとかわるいとかの問題ではないんです。だから、相手が自分で結論をだせるまで、寄り添うというか、やっぱり、“共に生きる人間”が必要です。

 私は失業した頃から、“つどい”によく行っていて、「在家仏教こころの会がおもしろい!」と感じ始めたのは、相手と向き合い、話し合うようになってからです。人間が生きるには、“話を聞いてくれる人”が必要で、“共に生きる”人間関係を育んでいく場が“つどい”なんだと、私は今、認識しています。

それぞれの自立!

今は長男も働いています。会社であったことをよく聞かせてくれますが、「あの上司が気にくわねぇ」とか、相手を責めることは言わなくなってきました。息子も、人間を見るのがおもしろくなってきているようです。人間を見ていくと相手を知ることができるし、ちゃんと関わっていくと、例え、怒られても相手と向き合うことができます。人間だからお互いに感情をもっているけど、向き合えると話し合うことができるんです。

うちには長男、次男、長女と三人子どもがいますが、今年から私たち夫婦と長男の三人暮らしになりました。次男は、三月から一人暮らしを始めました。前々から「会社が遠いから、会社の近くに住みたい」と言っていたんです。

ところが、私が失業してしまい、生活費の問題などもあり、“何年か先でいいか”と家族のことを優先に考えてくれていたようです。また、長女は高校卒業後、“親に負担をかけたくない”という思いから看護士になる道を選びました。二年間、働きながら看護学校に通い、資格を取りました。私も“これでなんとかやっていける”と思った矢先、「結婚する」と言い、結婚することになりました。私が失業したことで、子どもたちにはやっぱり、申し訳ない気持ちがあります。逆に、子どもたちにしてみれば、私が失業したことで、“自分の人生の半分、狂わされた”というような思いもあると思います。

だけど、何年かして、“これでよかった”と思ってもらえたらいいなと思っています。そのために、“自分はどうすればいいのか?”と考えますが、やっぱり、“今、どう関わっていくかで決まっていく”と思うんです。だから、お互いに“生まれてきて、よかった”と言える人生にしていくために、私もいろんな人と関わりながら、気づいたことを自分の人生に活かしていきたい。

(「大きな乗りもの」2015年8月号)



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