No.78

私は本当に被害者なのか!?
父と母の生き方からつかんだ“この自分”!

福岡県古賀市 平井晴美(72歳)

 

私の家族

 私に物心がついた時、父は戦死していて、母と弟、そして、祖母(父が養子に入った先で、父を養い育ててくれた人・養祖母)の4人家族でした。
私たち姉弟が幼い頃は、家で母が私たち子供の面倒をみながら、洋裁の仕事をしていました。また、祖母が蒲鉾や練り製品などを仕入れてきて、食堂や八百屋などに売りに行くことで生計をたてていました。
祖母は、私と弟に「戦争で亡くなった軍人の子供が、父親がいないからと言って、笑われては困る」と、口うるさく厳しい人でした。
それに、昔の嫁姑という関係の中で、祖母に口答えをせずに仕えている母が、私にはいじめられているように感じていました。
だから、祖母に従い自分の意見を言わない母に、「オバアチャンに言いたいことがあれば、我慢せずに言えばいいじゃん」と、私はなにかと反抗をしてきました。
口うるさい祖母が亡くなった時、“やっと、親子三人水入らずになれた”と思ったんです。でも、親子三人の生活もわずかな時間で、祖母が亡くなった三年後、私が二十歳の時に母が亡くなりました。
病院に行った時には、すでに末期のガンだったようですが、隠してなにも言いませんでした。入院中、世話をしていると、母は「まさか、あんたがこんなにしてくれるとは思わなかった」と言いました。なにかと反抗してきたので、母は嫌われていると思っていたようです。
でも、本当は大好きで、母に認めてもらいたくて、甘えたくて……。本当に優しい人で、私の理想は母でした。

母から聞いた“父”

 父のことは母から聞いています。父は明治の終わりに生まれ、度重なる戦争を体験し、「戦死をしたら、妻や子供につらい思いをさせるから結婚はしない」と、30過ぎまで独身を通してきたそうです。
で、“もう戦争はないだろう”と思い、結婚した昭和16年に太平洋戦争(第二次世界大戦)が始まりました。
昭和17年に私が生まれ、弟は昭和19年に生まれていますが、その間に父は出征していて、たぶん、弟の顔を見ていないと思います。
母は「お父さんは優しかった」と言い、私は父のいいところしか聞けていないんです。夫婦生活が2、3年と短かったからか、母は父のいいところしか見えなかったようです。
でも、若い頃の私は、“父は戦死して、もういない人”ということだけで、父について考えることはありませんでした。

想像と全然、違う

昭和43年、高校の時に弟と同級生だった人と結婚しました。夫は大学卒業後、就職して一年目の23歳で、私は25歳でした。その年に長男が生まれ、その3年後、次男も生まれました。
母から父の話を聞き、“夫とは、優しくて、妻を大事にする人。そして、父親とは、子供が大好きな人”と思っていましたが、想像とは全然、違っていました。夫は昔の男の三拍子が揃った人で、お酒を飲む、賭け事をやる、女の人が大好きだったんです。
今、考えたら、夫も23歳という若さで結婚して、父親になり、大変だったと思います。また、会社が福岡の中州という繁華街の真ん中にあり、夫は営業職でもあったので、家に真っ直ぐ帰って来られるはずもないんです。
でも、私は夫の話を聞くこともなく、“なに、この人!”と思いながらも、“姉さん女房だから、少々無理なことでも我慢しなくちゃいけない”と、祖母に口答えをせずに仕えていた母のように我慢していました。そういう夫婦の生活がずっと続いていました。
その頃に、久保克児副会長の書かれた『生かしあって いのち』(1990年発行)を読みました。で、子供たちもいるし、自分も生きているんだから、“生きていて、よかった”とは思えたけど、私は“生まれてきて、よかった”とはまでは思えなかったんです。

平成16年の2月、夫が心筋梗塞で亡くなりました。朝、仕事に行く準備中に倒れて、突然の死で59歳でした。
夫は、「広く浅く生きる。だから、長生きはしなくてもいい。自分の好きなように生きる」と言っていました。その言葉通り、本当にやりたいことをいっぱいやって……。
でも、夫の“こころ”をそこに向かわせた原因が“私にもある”とは、思いたくない自分がいたんです。

「夏のつどい」が終わって

 一昨年、静岡で行われた「夏のつどい」で、私は自分を語りました(「しあわせになる」ビデオクリップvol.68「わかった!」)。
そこで、人に話を聞いてもらってから、“私は本当に被害者なのか!?”という自問自答が始まりました。
そして、“その思いはどこからきているのか!?”と、ずっと紐解いていくと、“父の思い”と“私の思い”につながっていったんです。
父にとって、年をとってから生まれた私は、本当に可愛くてたまらなかっただろうと思います。だから、たぶん、仕事から帰って来ると、毎日、私を抱っこして、「可愛い、可愛い」と可愛がってくれたと思います。
でも、戦争に招集されて、戦地に行ったら、父は私を抱っこすることはできない……。
私はまだ3歳にもなっていなかったので、はっきりとした記憶はありませんが、父に対する思いがありました。父が戦争に行ったこともわからずに、帰って来たらまた抱っこしてもらえると、毎日、待っていました。
ところが、帰って来るはずの父が帰って来ない。待っても、待っても、帰って来ない……。
父を待つ中で、待つのは寂しいし、悲しいし、つらい。待っても帰って来ないなら、こんなつらい思いをして、待つのはイヤ。待つのをやめよう。もう待ちたくない。という思いになっていったんだと思います。
父も戦争に行きたくて行ったわけじゃない。でも、父がいなくなったことだけが“事実”だったんです。

私が求めていたもの…

今、その当時の自分の気持ちを考えると、帰って来ない父に“捨てられた”という思いと、待つのをやめようと、大好きな父を“捨てた”という思いの両方が、私の“こころ”にあったと思います。
そんな“こころ”からか、人に捨てられるのがイヤだから、嫌われる前に自分から人を捨てる。でも、本当は寂しいし、やっぱり、なにかあたたかいものが欲しい。だけど、全身で人を信頼するのは恐いし、心底、人を信じられない私でした。
そういう経験をしたことがない人であれば、なんでもないことだと思います。でも、私の“こころ”の奥の奥には、氷のように冷たく大きな塊のような思いがあったんです。
その“こころ”の奥の奥にあった「父への思い」に目を向けた時、初めて、“夫に父親を求めて、父と同じように私だけを見てもらいたい。私だけを愛してもらいたい”と思っていた自分に気づけたんです。
夫も、複雑な家庭環境の中で育ってきた人でした。父を早くに亡くしていて、きょうだいが多かったので、一度、養子に出されているんです。
しかし、養子先に子供ができて、実家に帰されることになり、夫は「戻ってからは、母に“一度、捨てられた”という思いから遠慮がちになり、葛藤があった」と言っていました。
だから、弟と仲がよかった夫は、年上の私が母親のように弟の面倒をみている姿に、自分の母親を重ねて、“私に母親を求めたんじゃないかな!?”と思うんです。
たまたま同じような家庭環境の中で、私は夫に父親を求め、夫は私に母親を求めて、自分が求めることを叶えてくれる人やものに、“こころ”が向いていったんだと思います。

“生まれてきて、よかった”

 『生かしあって いのち』を読んでから、ずっと、“生まれてきて、よかった”とはどういうことなのか? が、私の課題でした。でも、やっと、「生まれてきて、よかった」と言える自分になれました。
それは、昨年、行われた九州ブロックの「リーダー会員と本部との懇談会」で、在家仏教こころの会の「総戒名」が、なにを表しているのかを知ったからです。
「総戒名」とは、父方母方、夫方妻方、双系の先祖の供養を形に表したものと学び、私も「『総戒名』」は、私の“いのち”の基なんだ。夫の“いのち”の基なんだ。だから、二人の息子がいるんだ」と理解し、納得ができたんです。
そこから、私の“いのち”の基である父と母の人生を考えていく中で……。
“父は一生懸命に養子先で息子をやってきて、母と結婚して二人の子供をつくり、本当に頑張って生きてきた。母も嫁をやって、母親をやって、子供二人を育てて、本当に頑張って生きてきた。二人ともすごい親じゃん!”と思えたんです。
そして、“私は、この父とこの母から生まれてきたんだ。この父とこの母に、私は生んでもらったんだ”と感じた時、初めて、「私、生まれてきて、よかった」という言葉が自分から出てきたんです。
さらに、「総戒名」から、「人は父と母からしか生まれてこない。だから、人の“いのち”は平等にみんな尊いもので、いらない“いのち”はない」と教えてもらったんです。

“歪んだこころ”からの解放

阿部正洋さんの「しあわせになる」ビデオクリップ(vol.66「家族」)を観て、実は、仲のいい息子夫婦をひがんでいた自分の歪んだ“こころ”がみえてきたことが、自分でも面白いと思うし、すごい! と思うんです。だから、やっぱり、人の話を聞かせてもらうことは大事! だと思います。
そして、“歪んだこころ”に気づけた自分を語り、人に聞いてもらえたことで、“歪んだこころ”から解放されて、また気づいたことがありました。
夫が生きていた頃に、小さな薄い詩集をくれたことがあったんです。その時は中をパラッと見て、女性の気持ちの詩が書いてあったので、“男性が読む詩集で、女性の私が読む詩集じゃない”と、ちゃんと読まずにそのまま置いていたんです。
でも、夫が亡くなった後、その詩集が目に入り、なにげなく開いたら、おかしいんです(笑)。
「君の笑顔は世界一」とか、「百回、お祈りするよりも、君が笑ったほうが僕は楽になれる」という男性の気持ちの詩もあって、“もしかしたら、夫はここを私に見せたかったのかな!?”と感じたんです。
夫の気持ちをずっと、マイナスに受けとめて生きてきましたが、夫も私に歩み寄ってきてくれていたと思えたんです。

「ありがとう」が言えた

 昨年の夏。
お墓参りに行く車の中で、息子と二人の孫に、「“生まれてきて、よかった”と思えた」という話を聞いてもらいました。
それで、高校生と中学生の孫に、「“生まれてきて、よかった”と思う?」と聞くと、二人が声を揃えて、「うん!」と答えたんです。“そんな簡単に言えるものかな!?”と思い、「何で!?」と聞いたら、「パパとママがいるもん!」って。
私は「パパとママがいるだけで、“生まれてきて、よかった”と思えるんだ。すごい!」と言いました。
同時に、私たち夫婦の姿を見て育った息子たちに、孫と同じように、「パパとママがいるだけで、“生まれてきて、よかった”」と言ってもらえたのかな!? と、考えさせられました。
そして、今年のお正月。
息子のお嫁さんに、孫たちに「“生まれてきて、よかった”と思う?」と聞いた時の話をしたんです。お嫁さんは、「子供たちがそんなことを言ったんですか?」と思わず、涙ぐんでいました。
そこで、「あなたと息子がそう言える子供を育ててくれているのが、うれしい。本当にありがとう」と言えたんです。私はお嫁さんに「ありがとう」を言えたことが、すごくうれしかったんです。
夫の思い、父の思い、母の思い、そこにつながる双系の先祖の思いを感じながら、人と「聞き、語る」中で、今を生きる“この私”は、“被害者”なんかじゃなかったですね。
私はしあわせ者!

(「大きな乗りもの」2014年4月号)



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