No.44
“当たり前” の日常 !?
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いつもと変わらない日常。だが、その日常が突然くずれることもある。高巣洋美さんは、子供がプールでおぼれ心肺停止になった時、何を思ったか……。
今、改めて “当たり前” が “当たり前でない” と思える貴重さ、そのしあわせをかみしめている。
私の家族は、朝早くから夜遅くまで働いてくれている主人と、じっとしていることが苦手な九歳の長男、しっかり者の五歳の次男、そして、そこにいてくれるだけで見ているだけで笑顔になってしまう三歳の長女の五人家族です。
この家族五人で、一緒に楽しく生活できているしあわせを、今、本当にかみしめています。
子供が心肺停止 !?
去年の八月、夏休みも終わりに近づいたある日、私と姉は、私の子供たち三人と姉の子供たち三人を連れて北九州にあるプールに遊びに行きました。いつものことで、姉に荷物番を頼んで、私が六人の子供たちの面倒を見ていました。
最初はみんなで流れるプールで遊んでいたのですが、そのうちに、当時四歳になったばかりの次男が、小さなプールで遊びたいと言い出しました。次男は落ち着いたしっかり者で、「そこにいてね」と言うとずっといてくれるような子でしたので、「じゃあ、お母さんが帰って来るまでそこにいてね」という言葉を残して、私は流れるプールに戻ったんです。
しかし、やはり四歳です、心配になって長男を見に行かせたのですが、見あたりませんでした。実は、不安になった次男が私を追いかけて来たらしいのですが、私は気がつかなかったんです。
そんな時、私の名前が館内放送で呼ばれました。なんの心あたりもなく、 “なんだろう?” と思いながら行くと、そこには青ざめた顔の次男が横たわっていました。でも、青白い顔をしているだけで、声をかけると頷いて返事をしてくれるし、手を握ると握り返してもくれる。何も変わらないんです。私には、状況が理解できませんでした。
「お子さんは、流れるプールの底に、顔を上にして沈んでいました。人工呼吸を施して意識が戻りましたが、三分間、心肺停止していました」
「すぐに病院に行かないといけません」
監視員の方にそんな言葉を並べられても、「えっ!? あ、そうですか」と返事は返しているんですが、出かければ帰れるのが当たり前と思っていた私には、危機感がありませんでした。「自分の車で連れて行きますから」と言うと、「お母さん、急を要することなんですよ! 救急車を呼びましたから」と言われる始末。それでも、 “救急車? なんで?” と、ピンとこないありさまでした。
なんで私を責めるの !?
救急車に乗り、病院に向かいました。検査で異常がなければすぐに帰れる、そんな軽い気持ちでした。でも、病院が近づいてくるにつれて、次男の様子が変わってきたんです。
ずっと話しかけていて、次男はちゃんと受け答えをしていたのに、急に意識がなくなってきて、握っていた手も冷たくなってきたんです。体温はどんどん下がっていきました。その時に初めて、事の重大さが私の中でズシッと重さを増してきました。
なんてことをしてしまったんだろう! どうしよう……!
「お子さんのお年は?」
「どういう状況で……?」
救急隊員から、そんな簡単な当然のことを聞かれるんですが、そのすべての言動が、私には責められているようにしか思えませんでした。「あなた、四歳の子供に何をしたんですか!?」と。
病院に着いてからも、次男を一生懸命に助けようとしてくれている医者や看護師の言葉さえも、みんなが私を責めているようにしか、私は聞くことができませんでした。
責められても仕方がないことはわかっていましたが、 “なんで私を責めるの!?” そんな思いばかりが私の心を占めていました。
でも、それは、私自身が自分自身を責めていることの裏返しでもあったんです。同時に、責められることで許してもらえるなら……そんな気持ちがあったことも事実です。
本当にいたたまれなくて、逃げ出したい気持ちでした。その時の気持ちは、子供の心配よりも、自分自身のことが勝っていたように思います。
思いがけない主人の言葉
しばらくして、主人に連絡をしないといけないことに気づきました。時に何気ないやさしい言葉をかけてくれたり、さりげない行動をとってくれますが、日頃の口調はきつくて、つっけんどんな主人。ここでも、私は自分のことばかりが先にきてしまうんです。きっと怒られる、また責められる……。
主人はほとんど休みがないほどに仕事が忙しくて、子供と遊ぶこともなく、あまりかまってやれませんでした。また、子供にどう接していいかわからないようでした。かまってやりたいけどかまってやれない。そのストレスで、すぐに子供を怒ったりしていました。
それに、ちょうどその頃、夫婦の会話が少なくなって、顔を合わせるとケンカでした。私も、主人の顔色を気にしながらという状況になっていたんです。
“お願いやけん、責めんで” という思いで、怒られるのを覚悟して電話をしました。すると、主人の言葉は意外なものでした。
「なってしまったことは、しょうがないよ。おまえ、泣きよっちゃないか? 気持ちはわかるけど、おまえが泣きよったら、子供が目を覚ました時に心配するけん。泣くなよ」
その、いつになく穏やかな物言いに、私の心も穏やかになっていきました。安心しました。心に余裕ができました。
主人は仕事ばかりで、子供のことなんか全然見てくれていないというふうに思っていましたが、ちゃんと子供を見てくれていたんだなって感じました。
処置室に戻ると、意識がなかった次男が目を開けていました。そして、主人が言った通りに、私の顔を見て、「なんで泣きようと?お母さん」と言いました。
「なんで泣きよっちゃかねぇ。ごめんね」
泣き笑いの顔で、そう言うのが精いっぱいでした。
夫婦の会話が少しずつ…
次男は、肺に水が入っていたりで、思ったより重い症状でした。点滴を打ち、いろいろな検査を受けながら、入院生活は五日間になりました。
その間、主人は毎日、病院に来てくれました。花市場で働いているので、夜中の二時から夕方の六時まで仕事です。さらに、仕事場は福岡で、入院している病院は北九州。疲れると思います。それでも、一日も欠かさずに通ってくれました。
その時に、少しずつ、夫婦で会話らしい会話ができるようになったんです。その会話の中で、主人の思いが伝わってきました。
主人も苦しんでるんだろうな。本当は父親らしいことをしたいんだろうけど、でもできない。本当はさびしがり屋なんじゃないかな……。それを素直に表に出せない性格なんじゃないかな。
そういうことを、やっと実感として思えるようになりました。
幸い次男は、検査の結果、何の異常もありませんでした。本当にホッとしました。
家族が向き合った五日間
次男が入院していた五日間。この五日間は、私たち家族にとって、家族を見直すとても貴重な五日間となりました。
結婚して十年。私たち夫婦は、「この人のそばにいたい! この人がいたらしあわせ」というぐらいの大恋愛で結婚しました。
でも、子供ができると二人だけではないんです。私は、主人も好き、子供も好き。だけど主人は、子供とどう接していいかわからない。まして仕事が忙しいから、かまってやれない。それでも、一人目の子供の時は抱くこともなかったのが、二人目はダッコし、三人目には話しかけるようにもなりました。徐々に変わってきていました。とは言え、子供を寄せつけないような雰囲気は、依然としてありました。
私はそれが不満で、子供のことでケンカすることが多かったんです。「子供にとって、父親はあなたしかいない」と。
それに、長男は落ち着きがなく、目が離せないんです。ちょっと目を離すとどこに行ったのかもわからなくなる。探し回ることもたびたびです。多動症かもしれないとも言われました。私は、最初のうちは大変だと思ったこともありましたが、そのうちに、これがこの子の個性なんだと認められるようになっていました。
次男は、反対に落ち着いているんです。安心して何でも任せられる。子供としては、とてもしっかり者なんです。
我が家は、常に長男を中心に回っているんです。だから、プールに行った時も、長男にばかり気がとられ、次男には注意が向いていませんでした。安心しきっていたんです。それがいつものことだったんです。
違う景色が見えてきた!
あれから一年と少しが経ちました。今は家族みんなで、仲良く、元気に暮らしています。
私は、何でも当たり前と考えていました。出かければ帰れるのが当たり前。子供が何事もなく成長するのも当たり前。
でも、この世に、当たり前のことはありませんでした。それに気がつきました。取り返しのつかないことになる前に気がついて、本当に良かったと思います。
主人に対しても、毎日帰って来てくれるだけで、うれしい、ありがたいなと感謝ができるようになりました。「家に帰ったら、ゆっくりとくつろぎたい。子供たちが騒ぎ始めると、息ぬく場所やけん、ちょっと静かにしろ!と言いたくなる」。そんな主人のわがまま?も、今は許せるようになりました(笑)。
主人も、以前のようにただ感情で怒るのではなく、父親として愛情のある叱り方になってきたように思います。
子供たちに対しても、元気に暴れ回ってくれることが当たり前でなく、うれしい。それが貴重、大切なこと。
次男は、あれ以来、自分の存在感を主張するような言動が多くなりました。それも、私の目が次男に向いているから気づくことかもしれません。
もちろん、子供が三人もいれば、たまには一日ぐらいのんびりとしたい、と思うこともあります。でも、五日間、子供と離れていて、わずらわしさはないけど、すごく長く感じたんです。何年にも感じました。
たったの五日間——。二度と繰り返したくないことですが、なくてはならない、私たち家族にとって必要な五日間だったと思います。家族が向き合うきっかけになりました。
この五人が家族としてめぐりあい、同じ空間で暮らせていることも、当たり前ではなく、本当にしあわせなことだと感じています。そんな話が、家族でできるようにもなりました。
以前と同じ一日、二十四時間ですが、その中で、まったく違う景色が見えてきました。
一日一日を大切に、後悔することなく過ごしていきたいと思っています。
(大きな乗りもの 2009年10月号)



