No.34
お母さん、一緒に生きてくれて、ありがとう。大阪市 角谷直美(31歳) |
父親の不在。 “なんでなん?” と思いながら聞けなかったという角谷さん。
成人して知った家族の現実。こころの会の行事を通じて自分と向き合う中で、 “自分” を “自分” で認めた。
それは現実を受け入れ、この世でたった一人の父と、同じくこの世でたった一人の母から生まれた “この自分” を生きる決意でもあった。
お父さんの記憶
私の家族はお父さん、お母さん、弟の四人家族でした。仲のいい家族で、動物園、遊園地といろんな場所に出かけた思い出もあるし、お父さんとお風呂に入って髪を乾かしてもらった記憶もあるんです。
そんな家族四人揃って晩ご飯を食べるということが当たり前の家庭だったのが、私が小学校三年生の頃からお父さんが帰って来ない日が多くなっていったんです。はじめは一日、二日と帰って来いひん日があって、お母さんに「お父さんは?」って聞くと「出張やで」って。 “そうか、出張か” と思っていたのが、帰って来いひん日のほうが多くなって、「転勤になった」って。「転勤って、なに?」って聞くと「そこに、しばらく居なあかんねん」って。それでも、私の誕生日、お正月、お盆にはお父さんが帰って来てくれて、 “仕事やからしゃあないねんな” と思っていたんです。
私はお父さんが大好きで、 “いい子にしてたら、もっとたくさん帰って来てくれる” と信じて、学校も休まず通ったし、勉強も頑張って、ずっとお父さんの帰りを待っていたんです。
お父さんの部屋がない!?
五年生の時にお父さんと一緒に住んでいた家から引っ越しをすることになったんです。その新しい家にはお父さんの部屋だけがなかったんです。 “なんでやろう? なんかおかしい” と思って、お母さんに「お父さんの部屋がないよ」って言ったら、「もう一緒に住まへんから、なくてもいいのよ」って。
“えっ!? それってどういう意味なんやろ!?” って。でも、お母さんはなんか隠してるし、私はお父さんのことが好きやったから、それ以上のことを “聞いたら、あかん。なんかイヤなことがあるんや” って。ほんまのことを聞いたら、それが現実になってしまう……。それが怖い……って。でも、ほかの家とは違うよなって。私はお父さんに会いたくって、
“どこ行ったんやろう? どこにおるんやろう?” と、お母さんに内緒で探しに行ったこともあるんです。
知りたくなかった家族の現実
この時の引っ越しがあとから聞いたら、事実上のお父さんとお母さんの別居だったんです。その時、両親の間で「娘(私)が結婚するまで正式な離婚はしない」という決めごとをしたそうです。
そんなことをまったく知らずに、私は成人し、家族四人が揃い話し合いをする時がきました。そこで、お父さんから「もう家計を助けることはできない。別の家族がある」と、ほんまのことを聞かされたんです。
私は “私たちのことはもう可愛くないの?” とショックを受け、「なんで?」って聞いたら、「今、一緒に暮らしている子供たちに情があるし、そっちのほうが可愛い」って。私はお父さんに “裏切られて捨てられた” という思いでめっちゃショックで「なんで!」「なんで!」と泣き叫び、弟は「そんなこと言わんといたってくれ! 姉ちゃんはお父さんが好きなんやから!」と怒鳴り、お母さんも泣いて……。
でも、「そんなん、知るか! 俺にも俺の家庭があるんや!」とお父さんは意見を通し、話は終わったんです。そこには、私が知らなかった、知りたくなかった家族の現実があったんです。そのお父さんの言葉から “実のお父さんでさえ、私を可愛くないと思うんだから、他人に好きになってもらえるはずがない” って。私は “自分自身” の存在に自信がなくなってしまったんです。
“この自分” でしかない
“お父さんに捨てられた自分はダメなんや……。ダメな人間がしあわせになれるはずがない……” って、どこかであきらめていました。そんな時、たまたま行ったつどいで、私の話を真剣に聞いてくれた先輩がいたんです。その先輩に私の話を聞いてもらううちに、 “こんな自分のままじゃ嫌や! 変わりたい!” という思いから、お祖母ちゃんとお母さんがやっていた在家仏教こころの会をやってみよう!って。
毎月のつどいに参加するようになって、そのうちに先輩が「七面山に行かない?」って。七面山はお母さんに言われて中学生の時に行ってるんやけど、めちゃくちゃしんどくてイヤな思い出しかなかったんです。でも、自分で “行こう” と決めて、一年、二年、三年とずっと最後尾で登るグループ。 “いつになったら、みんなに迷惑をかけずに最後まで自分の荷物を持って、自分の足で登れるんやろう?” って。
七面山では、足を動かすのも止めるのも自分。私はダメダメな自分がいて、荷物を人に持ってもらったり、背中を押してもらったりして、泣きながら登っていたんです。そんな私でも、「一緒に行こう」と言ってくれる仲間がいて、初めて会った人までもが、「一緒に頑張ろう」と声をかけてくれたりするんです。その、私のことを思ってくれている気持ちがなんかうれしくって、 “他人のことをちゃんと思える人ってすごいな” って。だから、私も “最後まで自分の足で登れるまで続けよう” とジムへ通ったり、お経をあげたり、人と積極的に話していったり、家のお手伝いをしたりと、一つずつ自分ができることを増やしていったんです。
その積み重ねで七年目にやっと、最後まで自分の足で登ることができたんです。その時はほんまにうれしくて、「やったー! ありがとー!」っていう気持ちでいっぱいになったんです。私は自分の力で登れたことがほんまにうれしかったんやけど、同時に自分と向き合う中で “もうできへん” とあきらめてしまって、頑張る努力をしてこなかったんやなって。ダメダメな自分を “ダメな私もいたよ。でも、今は違うよ。私も捨てたもんじゃないよ” と自分で認められたんです。
自分を認めることはイコール自分を生んでくれた両親も認めることと私は思うんだけど、こういうお父さんとお母さんとの間に生まれた “この自分” でいいんだって。私のお父さんはこの世でたった一人。嫌だからって取り替えることのできない存在で、お母さんも同じだって。そう思えたことで、私の心の中でお父さんに対する気持ちが変わって、 “この自分” で生きていく!って。
自分を語れる環境の中で
七面山やつどいといった会員の行事の中で自分の思いを話すことはできたんやけど、会員以外の人にも自分の思い、家族の話をしたいって。私は友達の反応がめっちゃ怖かったけど、勇気をだして家族の話をしてみたら、「よく頑張ったね。話してくれてありがとう。話を聞いて勇気をもらったよ」って勇気づけられたんです。
ちょうど、同じ時期にお母さんも「同志の会」(「こころの会」)の仲間に、家族の話を聞いてもらっていたんです。
お母さんも私も、自分を語り、聞いてもらえる環境の中で会話が増えて、お父さんのことが話せるようになっていったんです。
それで、お母さんに「お父さんのことを知った時、どんな気持ちやった?」と聞いたら、「わかった時、あんたらを連れて、死のうと思った」って。私はビックリして、 “男勝りなお母さんがそんなことを思ったんや!?” って。勝手に “死のうなんて絶対に思わない強い人” と思いこんでいて、「なんでやめたん?」って聞いたら、「あんたらがおったから、生きなあかんと思った。でも、毎日、ご飯が砂みたいだった」って。
“砂を食べている気持ちって、どんなんやろう?” と考えたし、そんな思いをしながら、朝昼晩と働き、私たちを育ててくれたお母さんに “私たちと一緒に生きてくれて、ありがとう” と自然に感じて、 “私、今、生きているよ。生きていたから、いろんな人にも出会えたよ。弟は結婚して子供も生まれて、命が繋がった。私もこれから、命を繋げていくよ” という感謝の気持ちでいっぱいになったんです。
でも、恥ずかしくって、なかなかお母さんには言えなかったんです。でも、私のお母さんに対する感謝の気持ちを聞いてくれた先輩が、「その気持ちをお母さんに伝えてあげたら、とっても喜ぶと思うよ」って。
私もお母さんも言えた。 「もう、大丈夫!」
去年の十月に行われた大阪北地区「同志の会」にお母さんと一緒に参加して、「尊敬するお母さんに育てられて、感謝してる。心からありがとうと感じるから、 “この自分” を恥ずかしいと思わない。世界で一番尊敬してるお母さんみたいなお母さんになりたい」と、お母さんに伝えられたんです。
その帰りにお母さんが、「あんたが家族の話をみんなの前でできるようになるなんて、ビックリした」って。私が「平気やった? 嫌やなかった?」と聞いたら、「お母さんももう大丈夫。家族の話ができるよ。直美が言ってくれたことで勇気がもらえた」って。「じゃあ、もう大丈夫やな。これから、私たちもっとしあわせになるね! 一緒に頑張っていこうな!」という話ができて、ほんまにうれしかったんです。
また、今年三月の近畿・山陰会員ブロック大集合でも家族の話ができて、話をすることでまた自分を再確認できて、 “この自分でいい” と元気になれたんです。
ずっとダメなものはダメと思っていたんやけど、そうじゃないって。ダメもイイも両方あるのが人生なんやって。人間も同じで完璧な人なんておらへん。だから、お父さんにもきっと “なにかワケがあった” と思うし、お母さんにもあったんやろなって。そのワケがわかっても全部がうまくいくわけじゃないし、すべての問題が解決できるわけじゃない。でも、ワケを知って、考えることが大切なんやと、今は思えるんです。
最近、 “そういえば” と感じたんやけど、お母さんからお父さんの悪口を一度も聞いたことはないんです。悪口の一つも言っても当然だった状況なのにお母さんはそれをしなかったんです。そんなお母さんを知れば知るほど、ほんまに尊敬できるんです。
お父さんには、次に連絡を取る時は私が結婚する時で、お父さんとお母さんが離婚する時になるんかな!? でも、まだ先のことやし、いつになるかもわからへん。でも、私にはお父さんにも愛されていた記憶がちゃんとあるから、素直に「ありがとう」って言える。ほんまにいつになるか、今はまだわからへんけど(照笑)。
(大きな乗りもの 2008年09月号)



