No.33
“この自分”でいいや、
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しあわせって なんじゃろか?
一昨年から旦那の仕事の資金繰りがうまく回らなくなり、昨年の八月からコンビニのバイトに加え、焼鳥屋のバイトも始めたんです。
しばらく経って、高校一年になる一人息子に私が「お母さん、よう働くわ」って自分のことを言ったら、息子が「そういえば、家におらんな」って。そこで、 “家におる時間は何時間やろか?” と現実をみた時、ほとんど家にいなかったんです。
そこから、 “こんなはずじゃなかった” と、私の中だけの葛藤が始まったんです。それは、ちゃんと家事もバイトも両立できるという私の自信と、旦那に向けた “あんたのせいじゃ” という思い。
昼と夜のバイトで体力、精神ともについてこない。全部がよだきい(めんどくさい)気持ちになって、息子といる時間も旦那との会話も少なくなっていく……。 “このままじゃいけん” と思いながら、現実はままならない。 “お金、お金” となっていることも情けなく、 “どうしたもんじゃろか?” とずっと思っていたんです。
そんな時、『しあわせになる』(久保克児編)の本を読んで、 “自分のしあわせってなんじゃろか?” と初めて、私のしあわせを考えるようになったんです。
自分って なんなんじゃろか?
ほんで、バイトに向かう車の中で気づいたんです。私のしあわせって、 “日々やな” って。掃除や洗濯、息子との関わり、旦那とのケンカも含めた会話、日々の生活がしあわせ! って。
気持ちがそこに向いたら、少しラクになって、 “誰のせいでもない” って。すべてを受け止めることはできてないけど、 “家族がおって、自分がおる” と感じ、 “そうそう” と一人納得し、一人でうなずいていました。
でも、そこで今度は、 “自分ってなんなんじゃろか?” という新たな疑問がうまれたんです。
そんな中、十月に初めて大分地区で「こころの会」(旧「同志の会」)が行われました。そこで、「自分がわからん。なんで、わからんのか、わからん」という話をみんなに聞いてもらったんです。それまで、ずっと自分をわかったフリで話をしていて、でも本当は自分がわからんかったんです。
その後、私の話を聞いた親子が、帰ってから、「『わからん、わからんって、その先がないよな』という会話をした」という話をしてくれたんです。その話を聞いて、 “自分がわからんと言っているけど、わかろうとしなかった自分がおる” と、また気づいたんです。同時に “わからんのが今の自分の正直な気持ちで、ここから始めていけば、いいんや” と変にすっきりしたんです。
ここから、私の自分さがしが始まったんです。
雨が大好きな子供だった
私が物心ついた時、父はトンネル工事の仕事をしていて、家族で大阪にいた記憶があります。まもなく弟が生まれて、大分の母の実家に引っ越したんです。
母の実家はバアチャンが一人で暮らしていて、私たち家族もそこで暮らすことになりました。
大分に越してから、父は単身で大阪へ出稼ぎに行き、母はナバ山(椎茸を育てている山)の手伝いに行くことになりました。母は朝七時に家を出て、夕方六時頃に帰ってくる生活に変わり、椎茸のコマ打ち(椎茸の菌を入れる作業)や春と秋の収穫時期になると深夜まで帰ってこない。
その間、バアチャンが私を含めた六人の孫をみてくれていました。いつも一緒にいたのはバアチャンだったけど、「すかん」とも「すき」とも、バアチャンに対しての気持ちがないんです。その代わり、私は母が大好きで、雨が大好きな子供でした。
というのも、ナバ山の手伝いは雨が降ったら、お休みだったんです。雨の日は母がずっと家にいて、貧乏だったからたいしたものはなかったけど、母はわりと器用で蒸しパンなどのお菓子を作ってくれました。父も可愛がってくれたように記憶しています。
でも、はっきり言っていいぐらい、母とも、父とも、会話らしい会話をした記憶が私にはないんです。家族の一家だんらんのない子供時代だったんです。
“そうか~” と少し自分が見えた
中学生の時、父がいなくなったんです。その場面は、はっきり記憶しています。
父が一年間、出稼ぎから戻ってこなかったんです。その翌年に戻ってきて、母とバアチャン、そこになぜか私がいて、バアチャンが父に「帰ってくるのが遅かった」というようなことを言ったんです。そのあとにどんな話があったか覚えていないんですが、母が止めることもなく、父が私の目の前からいなくなったんです。
その後、私は中学を卒業し、母の実家を離れ、働きながら高校に通いました。帰省すると母がきょうだいの話をして、私はずっと話を聞くだけ。自分の話をするよりも、きょうだいの話を聞くほうが母との共通の話題になるので、いつも「うん、うん」って。逆に、「これを聞いて!」という、自分のことを話したい気持ちも私にはなかったんです。
今考えると、母は高血圧の持病もあり、仕事で余裕がないのをずっと見てきたので、 “私のことは別にいい” という思いが強かったんだと思います。私はただただ、母の話を聞くだけで、母と一緒にいるだけで満足だったんです。
私の場合は無口と違って、会話をしたことがないから話し方がわからなかったんです。だから、言葉を発すると常に命令口調。気持ちを発していないから、気持ちを整理したり、確認したりができていなかったんです。
そんな過去を振り返った時に、 “そうか~” と今の自分が少し見えたんです。
「わからん」からのスタート
今の家族に戻るんですけど、旦那は聞き上手なんです。話をよく聞いてくれる人で、私を受け入れてくれると感じ、 “この人なら大丈夫” と強く思いました。もちろん、父のこともあり、 “父と同じことはせん。子を捨てたりせん” という私の思いもすごく強かったんです。だから、旦那を信じて結婚して、息子が生まれた時は “私の家族ができた!” とすごくうれしかった。
今まで、生い立ちと環境がそれほど大事だとは思っていなかったんです。 “どれだけ、過去が今に影響しよん?” みたいな感じで、「過去はいい。思い出さんでいい」って。だけど、振り返ってみると、自分の過去が今の自分をつくりだしているって。
やっぱり、自分の過去に気持ちがいかんと、これからの先が見えんし、自分がわからんって。
ずっと自分をわかったフリをしてきたけど、 “言えん、言わん、言ってなるもんか!” というプライドと、 “わかったフリをしていたら、それなりにわかってくるもんや!” という変な意地を捨てると、わからんものはやっぱりわからん。
“この自分”って?
一月に久保会長が書かれた『法華経はなにを説くのか』(春秋社刊)の本が出ましたよね。
本を手に取ると赤い大きな帯があって、『いま “この自分” に目覚める。』と書いてあるんです。そして、本を読んでいくとまた “この自分” という文字が出てくる。読み進めるうちに、 “この自分って、いったいなんじゃろか?” という疑問が、また沸々と湧いてきたんです。
まだ “この自分” というのは、ようわからん! でも、 “この自分” がわからんけど、結局、わからんのが “この自分” なんですよね。
「わからん、わからん」から “自分のしあわせってなんじゃろか?” と考えて、 “家族との日々” と気づけた。
そして、「自分がわからん」という言葉を発することができたことで一歩進めた。
また、 “わかろうとしなかった自分がおる” と気づけて、また一歩前進。
わからんなりにわからん自分をさがしていけば、わかろうとすれば、自分が見つけられるって!
そういう自分を見つけられたことが、私は嬉しかったんです。
今も自分さがしの途中です。
でも、自分を語る場「こころの会」があって、聞いてくれる人がいて、話せたこともよかったんだと感じています。本当に受け入れてくれていると感じられる「こころの会」があったけん、私は「わからん自分」を素直に話せたんやと思うんです。
“この自分”で生きる!
今まで人の話を聞いて、「ようわかる」と言っておきながら、こころでは何もわかってなかったんです。
頭の中でしかわからん状態でわかるのと、こころからわかるのではぜんぜん違うんです。やっぱり、わかったフリはラク。話も適当に合わせられるから会話のようにみえるけど、こころがないから相手のこころにも伝わっていかないんです。
人のこころをわかろうとすれば、自分が、自分のこころがわかっていける! そこから、未来が開けていく! 「自分の気持ちがわからん」と言ってきて、 “この自分” じゃいけんと思っていたけど、 “この自分” でいいんやって!
最近では、自分をわかろうとする自分と、自分を受け入れられない自分がいるんです(笑)。「シャキッとせい!」と言葉で発したあと、こころの中で “本当は違うんで、優しい言い方もできるんで” って(笑)。
“きつい人やな” と思われても仕方ないと思いながら、 “本当の自分は違う” と否定したり、 “優しいところもある” と慰めたり、怒ったり、ひがんだり……。
今までそんな自分が “すかん、すかん” と思ってきたけど、そういう自分を出してもいいんやなって。ダメな自分を出したらいけんと思うと、自分を出せないんですよ。でも、イヤなところもイイところもすべて自分やなって。
『いま “この自分” に目覚める。』って、こういう自分でいいんやと。自分で自分を認めて、それでイヤな部分を意識して変えていけばいいんや! 今、 “この自分” でいいや、 “この自分” で生きていける! って。
やっぱり、自分を知るためには、自分で自分の過去を振り返りながら、自分で気づいていくしかないって。
それもちょっとずつ、ちょっとずつでいいんやって。
(大きな乗りもの 2008年05月号)



