No.27

恨み続けた23年が、あの人たちの“せい”から、あの人たちの “おかげ” に変わった!

福岡県筑紫郡 早戸由美(39歳)

 父の暴力と義姉からのいやがらせで、居場所をなくし、2人を恨み続けた早戸さん。
優しい夫のもとで見つけたしあわせな家庭も壊れ、「人生は平等なんかじゃない! 私だけが不幸なんだ!」との思いが、さらに2人への恨みを濃くしていった。
でも、「しあわせになる!」を目標に生きようと決めた時、恨みが感謝に変わっていくのを感じた。そして、今、再び……。

恨むこころ

 私は7人きょうだいの末っ子。きょうだいが多いから、さぞかし両親は仲がいいと思うでしょ? それが、全然! 父は遠洋漁業の船乗りで、年に一、二回、家に帰って来ましたが、 “また、来ている” という感覚と恐怖しかありませんでした。というのも、父は気性が荒く、口数が少ない分、怒るとすぐに手を出す人でした。母やきょうだいたちが叩かれている光景を見て育ったので、 “コワイ” しかないんです。
その分、母は優しく、母から怒られたり、強制されたりすることはなに一つなく、すべてを受け入れてくれる私の唯一の味方。父が “来ている” 時だけの我慢で、父の居ない生活は暴力もなく平和で、まさに天国のような暮らしでした。

暴力といやがらせ

 中学校へ入学した年、生活が一変しました。父が定年を迎え、16歳離れた兄夫婦と同居することになったんです。義姉とは、最初から折り合いが悪く、「アンタのご飯は作らんよ」って、私の食事だけを用意してくれず、学校の授業料もまともに払ってくれない。そんないやがらせをされて、「なんで仲良くしなきゃいけんと」って。多感な思春期でもあったし、反抗心が強く、仲良くしたいなんてまったく思いませんでした。
もっとも、母と義姉の仲も最悪だったので、娘の私は目の上のたんこぶだったんだと思います。父の暴力と義姉のいやがらせで、「あんたたちのせいで、私の居場所がない!」って、何度も家を飛び出し、帰りたい、けど、帰れない。人の家を渡り歩き、2人への恨みを溜め込んでいきました。好きで家出する人なんていませんよ。みんな、家に居場所がないんです。
今度、見つかったら殺されると本気で思っていたので、見つかる前に家族に消えてもらおうと家を放火しに帰ったこともあります。友達の車で家に近づくと、昼間は出かけているはずの母の車がたまたまあったんです。優しかった母を巻き添えにはできず、断念しました。もし、あの日、母の車がなかったら、今はここにはいないでしょうね。母に救われたって、思います。父と義姉を恨み、犯罪ぎりぎりの感情で友達の家からお金を盗み、バック一つで東京へ逃げました。

私の居場所はどこ?

 東京では寮のある仕事を選び、水商売を転々としました。居場所を探し求めて家を出たのに、ワケありの人が多く、女の子同士のお客さんを取った取らないの争い。それに加え、管理する男の人にはバカ扱いされ、まともに給料がもらえない。落ち着ける居場所も見つからず、自棄になっていました。
そんな時、お客さんとして店に来た夫と意気投合したんです。店に来るお客さんをバカにしていたけど、私が一目惚れして、私にとって特別な存在になりました。その日に夫から「オレが食わせるから」と言われて、きっぱり仕事を辞めました。子供の頃から料理や掃除が大好きで、結婚イコールしあわせと信じていたので、ホントにうれしかったんです。
同棲が始まり、妊娠し、結婚も決まり、4年ぶりに実家に帰ったんです。両親ときょうだいたちが集まってくれて、「結婚する!」と告げるとさすがにビックリして、「川から上がった死体はみんなお前と思っとったと」「親不孝もん!」とひどい言われようで、お祝いの席で「なんで文句を言われんといかんと」と、心の中で “私は絶対に悪くない!” って。でも、母だけは「よかったね」と言ってくれたのを覚えています。
今になって、母の気持ちがよくわかります。うちの娘は18歳ですけど、いなくなったら、私は生きていけん。どんな思いをしたのか、聞いたことはないけど、心配性の母は血の涙を流したと想像できるし、申し訳なかったと反省しています。

私だけが不幸なんだ!

 娘を出産し、自分の居場所を見つけて、私はしあわせを感じていました。しかし、娘が1歳になろうとしていた頃、夫は遺書を残して外出し、出先で叔父に電話したそうです。叔父はすぐにおかしいと感じて、病院に連れて行くと、神経症だとわかりました。
入院中、毎日通っていると、体調に波があり、いい時はいいんです。当時の精神科は入院すると退院できないと聞いていたし、私は夫の体調がいい時に、「これなら絶対、大丈夫」と医師の反対を押し切り、家に連れて帰りました。娘もいるし、やっぱり夫には働いてもらいたかったんです。そして、仕事に行けるまで回復していったある日、「今日は仕事に行きたくない」と初めて夫が反抗したんです。私は深く気にもせず、「いいから、行って!」といつも通りに送り出しました。その日、夫は自らの命を絶ってしまったんです。
人を責めることのなかった夫。私が追い詰め、命を奪ってしまった。殺してしまったとの罪悪感に耐えきれず、苦しみから逃げるために、義母の育て方が悪かったんだ! 会社のせいだ! と恨むこころがどんどん大きくなっていく。でも、結論は出ない。そうすると、「すべてはあそこから始まったんだ」って、居場所を奪った父と義姉を恨むこころに戻るんです。

しあわせになりたい…

 結婚をきっかけに実家とは連絡を取っていたので、 “1年だけ” という条件で父の世話になり、その後アパートを借りました。でも、当時は死別神経症と育児神経症で働ける状況ではなく、夫が残してくれたお金だけが頼りの生活。6年が経ち、6年間、それなりに一生懸命、頑張っているのに報われない……。全然、しあわせを感じられない……。
また、自棄になって、娘が泣いていてもまったく気にならず、朝までほったらかしで飲めないお酒を飲んで遊び歩く日々。自棄酒だから、おいしいなんて感じないのに飲み続け、遊びでつくった借金が80万近くなると、今度は「働かないかん」と昼夜を問わず働く日々。極端なんです。ゼロか百、白か黒、それしかありませんでした。そして、先が見えない苛立ちのすべてを「この子がいなければ、どんなに楽やろ」って、家という密室で娘に当たるしかできなかったんです。娘を怒鳴り、蹴飛ばし、虐待に近いこともしてしまいました。
そんな時、娘と電話で話しているところを人に聞かれて、「その話し方、なに? 冷たいと。そういうのはいかん!」って、スゴイ顔で怒られたんです。でも、その時はその人が怒るワケが、私にはわかりませんでした。

人生は平等じゃない!

 親子関係の歪みがあらわれたのは、娘の不登校というカタチでした。仲間からは「遠回りしてもいいやない」と支えてもらいましたが、娘は「生きてる価値がない。学校へ行けんし、親不孝だね。死にたい……」って。学校という小さな世界で娘は悩み、不安定で一人留守番もさせられない。
でも、私の恨みつらみで両親には馴染んでないし、きょうだいとも折り合いが悪く、誰も頼れない。職場にも何度か連れて行ったりしましたが、こういう時に母子家庭って、つらいですね。一緒にいてあげたいのに、いてあげられない。そんな不安を仏壇の夫に「娘だけはしあわせにして……」とすがり、「あんた、高いところから何を見てんの! 地上では、あんたの娘も、私も、苦しんどっとよ!」と怒り、文句を言っていました。
そんな時、私は階段が登れなくなったんです。おかしいと感じて、3日目に病院に行きました。簡単な検査が終わり、医師から「入院してもらいます」って。70日の長期入院で検査を重ね、筋ジストロフィーと診断されました。頑張れば、絶対に報われると信じていたのに、娘は不登校になるし、私は難病の筋ジストロフィーと宣告される。夫との死別で最高の不幸を味わい、 “しあわせに向かって、あとは上がるだけ” と信じていたのに、また下がっていく。もう、どん底……。そのどん底の答えが出ない問題に対しても、「すべてはあそこから始まったんだ」と父と義姉への恨みに戻ってしまう。

「しあわせになる!」

 昨年の2月頃、「夫への気持ちをふっきることができない」と16年間、夫の裾を引っ張っている話をすると、ある人が「気がついて、しあわせにならんといかんよ」って言われたんです。同じようなことを何度も言われていたのに、その「気がついて」というのに引っかかって、私なりに考えたんです。夫は亡くなり、この家に、この世にいない。美化されていく夫のことをずっと引きずって、私がしあわせになれていない。生きている私がしあわせになれなかったら、夫も安心して成仏できないんじゃなかとって。そして、「しあわせになる!」を目標に生きようと決めた時、夫との死別が最大の不幸と感じていたのが、夫に出会えたことが最大の感謝にコロッと変わったんです。
その変化が連鎖して、人の話を聞いていて、もう一つ気がついたんです。その人の話は、どう考えても本人が悪い事柄を人のせいにしている話でした。その人は正面からしか相手を見ていないから、相手の悪いところしか見えないんです。でも、第三者の私には別の角度が見えて、「あっ」って。私も父と義姉のせいにしてきたけど、間違っていた。恨みがいっぱいで、すべてあの人たちの “せい” にしてきたのが、すべて、あの人たちの “おかげ” と別の角度が見たんです。

そして、今…

 すべての経験が、私の財産だと感じます。家庭崩壊で苦しむ子、家出する子、夫を亡くした妻、母子家庭の母、借金をする人、いけないと思いながら虐待してしまう親、不登校児を持つ親、難病で悩む患者、いろんな立場の人の気持ちがわかる私になるための経験だったと、すべての出来事がひっくり返ったんです。ホントにいろいろありすぎましたけど、今、「すべてはあそこから始まったんだ」という気持ちが、少しずつ「ありがとう」に変わっています。家庭の中で問題が起こっても、不幸じゃない。なにかを考える、気づくチャンスだったんだって! 23年かかったけど、誰のせいでもなかったんです。
母の認知症も始まり、耳の遠い両親のお世話をしながら、「こうやけん」「こうやけん」と父と母の間で通訳をしていると自然と空気が和みます。両親が末永く労りあいながら、生活してほしいと願っています。父も昔より少しだけ丸くなり、甘えてくれるようになりました。母とは先月、一緒に出かけられて、母と一緒に出かけられるしあわせを感じました。
娘に対しては、下手なりに父親役もやってきましたが、父親役は降板します。小学校、中学校は卒業証書を取りに行けただけでしたが、その後のフリースクールを休まずに通い、画家になる夢を見つけました。母親として、かわいがり、応援することだけに専念していきます。
きれいごとに聞こえるかもしれないけど、人のこころは無限で宇宙のように感じます。私の宇宙にも、キレイな星やまだ光らずに曇っている星と、たくさんの星があります。これから、もっと自分を磨いて、キラキラと輝きのある私になりたい! 人の “せい” にするこころから解放されて、こころの向きを見つけられた、今、再び、しあわせのピークです。

(大きな乗りもの 2007年05月号)

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