No.23

泣いたり、笑ったり、喧嘩したり。
家族で営む、当たり前の生活。
その一日一日大切に、暮らしていきたい。

大阪府泉南郡 北田禎二さん(62歳)・里美(61歳)

心を鍛え、仲間に支えられた

里美 私ら夫婦には、長女(36歳)、長男(36歳)、次女(27歳)の3人の子供がいます。長女は嫁に行き、今、我が家は4人家族。上2人は双子で、長女は健常者として生まれましたが、長男は脳性麻痺で100%介護が必要な状態です。長男に障がいがあるとわかったのは、生後7、8ヵ月の頃でした。

 在家仏教こころの会に出合ったのもこの頃。当時はまだ、障がいを持つ人を受け入れてくれる社会ではなく、団体などもありませんでした。だから、障がいを持つ子を家に隠す親が多かったんです。でも、こころの会の先輩から「人前に連れて出なさい」と諭され、事あるたびに「連れておいで」と言われるんです。

 私は最初、本当にイヤでイヤで。だって、みんなが子供をジロジロ見るし、 “こんなに辛い、私の気持ちもわからんのに ” と、ずいぶん反発もしました。でも、何回か子供を連れて出るうちに、みんなが子供や私に声をかけてくれて、子供を隠そうという気持ちはだんだんと薄らいでいきました。外に出ることで視野が広がり、そこでのなにげない会話が私にとっては支えになりました。その支えで、私の心も鍛えられたんだと思います。

禎二 家内は子供が生まれてから、横になって一人で寝たことがないんです。いつも長男を抱いていないといけなかったから。本当によくやってくれました。

僕は子供の頃から口下手で、口が悪いんです。家内に言葉で辛く当たったり、口で負けると手が出ることもありました。辛抱してくれたのは、在家仏教こころの会に入って、家内の話を聞いてくれる人たちがいたからだと思います。僕ら2人だけの生活だったら、どうなっていたかわかりません。最近、年をとってきたせいか、みんなに助けられていたんだなあと思っています。

 生きていくために必要なこと

里美 息子は保育園から高校までの14年間、和歌山の養護施設で過ごしました。小学校に入って、あの子が初めてしゃべった言葉が「ハイ」でした。名前を呼んだら、「ハイ」って返事するようになったんです。それまでは言葉らしい言葉はしゃべれなくて、泣いて要求するだけでしたから、本当に嬉しくて。家に帰って来た時、みんなであの子の名前ばかり呼んで、嫌がられたことも(笑)。

禎二 本当にあの時は嬉しかったなあ。今でも喋るといっても、僕らが聞いたらわかるけど、他の人が聞いたらわかりません。でも、「ありがとう」「ごめんなさい」は、はっきりと言います。

里美 あの子が施設に入る時、養護学校の先生から「何を教えたらいいですか」と聞かれて、私はこうお願いしたんです。

「100%介護が必要なあの子に足し算や引き算、お金の価値を教えても、計算することもお金を使うこともできません。それより、『ありがとう』『ごめんなさい』『お願いします』という言葉を教えてください。身体は不自由やけど、周囲の人にお世話してもらって当たり前やと思ってはあかん。『ありがとう』を言ったら、お世話してくれる人にもかわいがってもらえるし、憎いことを言ったら誰だって嫌です。だから、『ありがとう』と『ごめんなさい』を教えてください」と。

 そうしたら、先生がきっちりそういう言葉を教えてくれました。これから先、私たちが年をとって世話ができなくなった時、施設にお願いすることになります。その時、「ありがとう」「ごめんなさい」「お願いします」は、あの子が生きていくために必要な言葉なんです。

「ありがとう」、その言葉の力

禎二 僕は仕事で忙しく、息子の世話、病院や施設の送り迎えなど、家内にすべて任せっきりでした。最近、家内が夕方だけパートで働くようになって、その間、僕が息子と一緒にいるんですが、家内の大変さがつくづくわかりました。とくに風呂に入れるのが一苦労で、身体を緊張させてカチカチに固くなっていると男の僕でも本当にしんどい。僕も仕事から帰って疲れているし、機嫌が悪い時もある。そうすると、つい息子に怒ってしまうことがあるんです。僕が怒ると息子もすごく怒るんですが、風呂から出たら絶対に「ありがとう」と言ってくれるんです。そう言われると、「悪いことしたなあ」って後悔するし、言われるとうれしい言葉ですよね。毎日毎日、その繰り返しです。

 親は子供に育てられると言いますけど、本当にそうです。たまに、しんどいから会社を休みたいと思うこともあるんですが、息子は朝7時12分ぴったりに「お父さん、行ってらっしゃい」と言うので、その言葉を聞くと休みたくても休めません。帰ってきたら、「お帰りなさい。お疲れさま」と僕や家内、次女がどんなに遅く帰っても、絶対に寝ないで待っていて、必ず労いの言葉をかけてくれるんです。息子の前では嘘がつけないし、いい加減なことはできません。

「くよくよ考えてもしゃあない」

里美 施設に入っている間、土・日に家に帰ってくるので、送り迎えをしないといけませんでした。他の親は車で送り迎えをするんですが、その頃、夫も私も車の免許を持ってなくて、私は自転車にも乗れませんでした。それで長女を連れて、あの子をおぶって送り迎え。あの子もだんだん大きくなっておんぶするのも大変なんですけど、自分の子供だから気になりません。息子が中学生になって私の背丈を追い越した時、おんぶできないことに気がついて、それから車の免許を取りました。それくらい、私はのんきで、車の免許を取るなんて考えつかなかったんです。

 でも、「くよくよ考えてもしゃあない、どうにかなるわ」とのんきにしてたから、良かったのかもしれません。神経が過敏な母親だったら、本当に疲れてしまうと思います。

 私、親が子を殺す気持ち、怖いけどわかります。「この子さえいてなかったら……」と子供の首に手を回しても、それを実行するか、思い留まるかの違いです。幸か不幸か、あの子の首は太くて、私の指では回らないんです(笑)。だから冗談で、「あんた、首が太くて良かったなあ」と言うと、息子はゲラゲラ笑っています。その笑顔にも何度、助けられたかわかりません。障がいを持つ子に限らず、親の介護、子育て、看病疲れ、一対一の当事者同士ではなくて、第三者が入ることでうまくトライアングルができるといいですよね。

 子離れと親離れの時期

里美 10年前から、大阪福祉グループはばたきの活動に参加しています。最初は “お客さま ” でしたけど、3年前からスタッフとしてグループの運営・企画に関わっています。夫も去年から運動会の実行委員になって、夫婦で参加しています。

 スタッフになってから、息子のことだけ見ていればいいという状態ではなくなって、他の人に息子のお世話をお願いしなくてはなりません。最初の頃は慣れなくてしんどいこともあったけど、息子も嫌がらずに大好きなお姉さんに御飯を食べさせてもらうのを楽しみにしています。息子が他の人を受け入れるようになったのは、「はばたき」の活動があったからだと思います。

禎二 家内は、息子の世話は全部、自分でしないと気が済まないんです。おそらくスタッフにならなかったら、他の人に息子を任せるなんてできなかったと思います。

里美 私も、そう思います。夫がそばにいてくれるので安心はしていますが、息子から離れるなんて初めてのこと。これって子離れの準備なのかもしれません。

 夫も同じ時期にきています。私が留守の時、息子が次女に「おしっこ」と言ったそうです。次女がやろうとしたら、夫が飛んで行って自分がやったと言うんです。私、夫に怒りました。年頃の女の子に下の世話をさせるのはかわいそうだと思う父親の気持ちはわかるけど、いざという時に困るんです。だから、放っておいてほしいって。それからは夫も、次女にも任せるようになりました。次女は嫌がらずに何でもやってくれますし、息子も嬉しそうに「ありがとう」と言います。

家族への感謝の思い

里美 家族に感謝しているんです。障がいを持つ兄弟がいると家に友達を呼べないという話を聞きますが、長女も次女もそういうことはなかったし、「どうしてこんなお兄ちゃんがいるの」と、息子を否定するようなことを言ったこともありません。

 でも、どうしても息子優先で、娘たちに十分に愛情を注いだとはいえません。とくに長女は双子だったから、かわいそうなことをしました。思い出すのは、2歳頃だったと思いますが、息子の治療のために病院に通っていました。もちろん、息子をおんぶして、長女を歩かせて。ある日、長女が「抱っこして」と言ったんです。2歳ですから、たまには自分も抱っこしてほしい、おんぶしてほしいと思ったんでしょう。私が、「お母さんはこの子をおんぶしているし、荷物も持っているし、抱かれへん」と言ったら、地べたに座り込んで泣いたんです。かわいそうだと思ったけど、そこで負けるわけにはいかず、「泣いておき」と放っておきました。それから長女は二度と、抱っことかおんぶしてとか言いませんでした。

 今になってみれば、不憫に思います。親に甘えたい時もあったろうに、甘えられなかった。だから、これからは娘たちにも、甘えてもらえる母親になりたいと思っているんです。

禎二 長女は僕にも甘えませんでした。子供ながらに、何か感じていたんでしょうね。それと、家内の一生懸命な姿が長女に伝わったんだと思います。愚痴一つこぼさず、一生懸命に長男の世話をする家内の姿を見ていたら、何も言えません。

里美 愚痴もありましたけど、誰にでも言えるわけではなくて、私はこころの会の仲間に聞いてもらっていました。それと、あの子に。あの子には、本音で話せるんです(笑)。本音が言える相手がいるだけで、ずいぶん気が楽になれます。

 でも、ホントに一生懸命にやってくれたのは夫のほうです。私は、障がいを持つ子が生まれたという理由だけで離婚されたり、夫婦の間が冷めた家庭をたくさん見てきました。母親は逃げられないけど、どうしても父親は逃げてしまいます。ストレスがたまって、お酒やギャンブルに逃げてしまう人が多い。でも、夫は一度もそんなことはなかった。あの子が施設から帰ってくると車椅子に乗せて、娘たちと一緒にひと駅向こうの駄菓子屋までお菓子を買いに行くんです。それが子供たちの楽しみで、夫は口が悪いし、私も短気だから夫婦喧嘩もいっぱいしたけど、子供のために、家族のためにと一生懸命にやってくれました。私のほうこそ、夫には「ありがとう」がいっぱいなんです。

 新しい暮らしが始まる

禎二 実は、大変なのはこれからです。僕らも年をとって力がなくなっていきますから、今まで通りとはいきません。子供に合わせるのではなく、自分たちの体調や都合に合わせて、子供と接していこうと話をしているんです。

 実は今年、家を買いました。庭付きの一戸建てで、もうすぐ引っ越しです。僕は2年前に定年退職し、今は嘱託で仕事をしているんです。生活の不安はありますが、家内はなんとかなると言っています。

里美 町営住宅の2階に住んでいて、今までずっと夫があの子を抱いて家に出入りしていたんですが、もうその心配はありません。これからは無理せず、できるだけ手抜きして生活していくつもりです。夫には趣味の時間をつくってほしいし、私も庭に季節の花をたくさん植えて、家族の時間と自分の時間をうまく楽しみたいと思っています。

禎二 僕は大きな望みはありません。身体に気をつけて、一日一日大切に、あの家で子供たちとの思い出をたくさんつくりたい。笑顔で暮らしたい。今はただ、それだけが願いです。

里美 障がいを持つ子を持って、周囲の人たちから「苦労しますね」と言われますが、子供を持つ家庭はみんな、同じです。私らは何も特別な家族ではないし、特別な暮らしをしているわけでもありません。私は息子と本気になって親子喧嘩もしますし、夫と息子はいつもテレビのチャンネル争いです(笑)。障がいを持つ子だからといって、特別扱いをしているわけではないんです。家族で営む、当たり前の生活。

 初めて家を持って、家という財産ができましたけど、それと同じくらいに私たちにとって周囲の人たちはかけがえのない財産。先のことを考えたらしんどくなる時もあるけど、今までも息子の「ありがとう」「お疲れさま」の言葉や家族の協力、周囲の励ましに支えられて生きてきました。これからもそうやって、一日一日を大切にしながら、みんなとともに生きていきます。

(大きな乗りもの 2006年06月号)

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ΩΩΩ

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