No.22
自分づくりって、何だろう?
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母への反抗
今の私からは想像もつかないでしょうけど(笑)、中学、高校はかなり曲がっていました。長いスカートをはいて、煙草吸って、仲間とつるんで夜遊び。両親にはずいぶん泣かれましたけど、心の中では「お前のせいだよ」って母を責め、母に対する反抗でした。
子供の頃、母との楽しい思い出なんて何一つありません。男まさりで、とにかく強烈な人。家は養豚場と農業をやっていて、母はいつもドロまみれになって働いていました。私は4人姉妹の長女で、4人も子供がいる上に毎日忙しいものだから「飯さえ食わせておけば、子供は育つ」くらいの感覚なんです(笑)。私が母に何か言っても「お前はお姉ちゃんなんだから」と叱られ、話をろくに聞いてもらえずによく豚小屋や米蔵に閉じ込められたものです。
きっと母の気に入らないことをしたんだと思いますが、小さかった私には自分の体より大きな豚や真っ暗な米蔵の中は恐怖でした。今思えば、無意識な精神的虐待。母の荒々しい言葉遣いや行動にいつもビクビクしていて、子供心にも母に嫌われたくない、母の機嫌を損ねたくないと、「私が悪いんだから仕方ない」と自分に言い聞かせて、ずっと我慢してきました。 小学校まで何も言えない、おとなしい子供だったんです。でも、「今に見てろよ」という気持ちがたまりにたまって、中学に入って一気に爆発しました。高校生になって暴走族に入ってバイクを乗り回し、彼氏と知り合いました。それからは、彼氏の家に入りびたり。「いつ死んでもいいや」となげやりで、唯一、彼氏のそばだけが心休まる場所でした。
このままではいけない
彼氏と22歳で結婚しました。それが今の旦那です。6年もつきあって結婚したんだから、旦那とは信頼関係ができているはずなのに、心のどこかで「この人はいつか裏切る」と冷めた自分がいました。人を心から信用できないんです。今、周囲の人たちを見て感じるんですが、子供の頃に親ときちんと関わってこなかった人はみんな、そうです。用心深くて、寂しくて、長女が生まれて母親になってもその思いは変わりませんでした。
ある時、知人が家に来て、いつものように話をしていたら、突然、旦那に「どうして恵美ちゃんと結婚したの?」と聞いたんです。私が言うのも変ですが、旦那ってイイ男なんです(笑)。すごくモテそうなのに「なんで、私なのか?」って。考えてみれば、今まで私からも聞いたことがなかったんです。その時、旦那はこう言いました。
「こんな話をすると恵美が自惚れるから、一生、自分の胸にしまっておくつもりだったけど、お前は俺の命の恩人だ。俺はお前がいなかったら死んでいたかもしれない。だから、どんなにわがままでも、俺が一生幸せにすると決めたんだ」
確かに、つきあって間もなく、当時は高校生だった彼がバイクで大事故を起こし、お医者さんから「今夜が峠だ。覚悟してほしい」と言われました。初めて心を許した人だったから、この人が死んだら私も生きていけない。1%でも望みがあるなら絶対に諦めない、私が助けてやると、毎日、病院に通って看病しました。3ヵ月間、意識不明でしたが、一度だけ意識が戻って、私の名前を呼んだそうです。そして、奇蹟的に一命をとりとめました。
私はすごくわがままで、旦那は我慢の人。でも、旦那の思いを初めて知って、私、号泣しました。その時やっと、「この人と幸せになる。このままではいけない」と思ったわけです。
「自分づくり」のホントの意味
結婚前に、かつての暴走族仲間の家に仏壇があって、「先祖の供養をするんだ」と聞いて、純粋に先祖供養は大事なことと思ったので、自分の意思で「在家仏教こころの会」に入会しました。
入会すると “自分を語ること ” が大事だというので “つどい ” に参加すると、決まって自分を変えるとか、自分づくりといった言葉を耳にして、「ジブンヅクリ? ハァー、ナニソレ?」って感じでした。当時の私は、自分のことを素晴らしいって思っていたし、このままの自分で十分と思っていました。
でも、人を信用できず、他人の不幸を聞くと「ざまあみろ」と思う自分なんです。長女を出産した時も、産後の経過が悪くて1ヵ月間入院したんですが、旦那が最初に顔を見に来たのは子供ではなくて、私。その旦那に向かって「普通なら子供が先だろうが! 父親失格だよ」とカーッとなりました。相手が自分の思い通りにしてくれないと、腹が立つ。でも、旦那に「なぜ?」と聞くと、子供よりも私を大切に思ってくれていたんです。
旦那の話を聞いたら、自分が見えてきて、自分で情けなくなりました。「これじゃあいかんぞ。お互いに、この人で良かったという夫婦になるためには、まず自分だぞ」って思いました。それから、「自分づくり」という言葉がすんなり入ってきたんです。
私、本気で変わろうと思いました。不思議なもので、その気持ちになってから、「なぜ?」がたくさん浮かんできて、「なぜ?」を追求していくと、少しずつ自分が見えてきたんです。
以前は、お風呂を沸かしたら「お風呂を沸かしてやったよ」、布団をしいたら「布団をしいてやったよ」って。私が “してあげたんだから、あなたもやってくれるよね ” って、いつも駆け引きしていた。
でも、この人と幸せになるという気持ちが膨らむと、無条件に「あなたのために」という気持ちが湧き出てきたんです。うまく言えませんが、計算高い優しさから脱皮できたような気がします。たまに、「チクショー!」って思うことや納得できないこともありますが、「なぜ?」と一度、自分と向き合う。前みたいにストレートに態度や言葉に出したり、フタをして封印するのではなく、相手と話し合ったり、いろんな人の意見や助言に耳を傾けて、一つひとつきちんと問題を解決していくようになりました。それが、「自分づくり」の1つの方法ではないかなと思います。
母と本気で向かい合う
自分づくりをしていく中で、どうしても「なぜ?」を解決しないといけないと感じたのは、母との関係でした。すごく怖いんです。本当にヤクザみたいな母で怖くて怖くて、何か言うのもドキドキするんです。でも、いつまでも逃げているわけにはいきません。
その矢先、親戚の叔父が病気を苦に自殺しました。母も長年、病気を患っているので、気になって「お母さん、辛いと思うけど、死んだりしないでよ」と言ったら、「今は大丈夫だけど、この先はわからないよ」と言うんです。一気に不安が募りました。普通の親なら子供を安心させるのに、母は違うんです。「なぜ?」母は娘の気持ちがわからないんだろうと悔しくなって、知人に話を聞いてもらいました。「その気持ちをお母さんに話してみたら」と言われて、私は初めて自分の正直な気持ちを母に伝えました。
「この先はわからないなんて言われて、すごく不安になったよ」
「あー、あれか。脅かしてやったんだ。少しくらい親の心配しなきゃあしょうがねぇなあと思ってよ」
母は私を脅かしていたんです。子供の頃からずっとそうでした。意味もなく怒鳴られ、いつもビクビクして、自分は何をやっても駄目だと自信をなくして、マイナス思考で中途半端で……。よくよく考えてみたら、私は母にされて嫌だったことを、今、自分の子供にもしていることがあります。それを直すには、母ときちんと向かい合わないと駄目だと思いました。
勇気を出して母に言いました。小さい頃、どれだけ傷ついたか、どんな思いで過ごしてきたか。泣きながら、震える声で必死に訴える私を見て、母は驚いていました。それでも最後まで黙って私の話を聞き、「母ちゃんが、悪かった」とひと言。そして、昔のことをポツリポツリと話し始めました。
親子関係の軌道修復
母は小さい頃から学校にも行けず、畑仕事をしていたそうです。そうやって生きてきた母は、些細なことでメソメソする私が気に入らなかったそうです。もっと強くなれという思いもあって、きつく当たっていました。また、姑との関係が悪く、姑からいつも「バカ嫁」と呼ばれて、父が借金したり、外で遊ぶのはすべてが母のせい。子供が何かやらかすのもすべてが母のせい。何でもかんでも、姑から「お前が悪い」と責められ、母は一番弱い子供に八つ当たりをしていたと。いつも本音を隠して我慢して生きてきた人だから、きつい言葉になって出ていたんだと思います。私の「なぜ?」から、母には母の悩みや事情があったことを知りました。
「お母さんも大変だったんだね。でも、自分がされて嫌だったのに、同じことを子供たちにしちゃうんだ。これからはお互い気をつけて、仲良くやっていこうよ」と言うと、母は「これから気をつけるよ」と言ってくれました。
少しずつ母との関係が変わっていき、ここ何年かで何でも言い合える関係になりました。母も「お前には何でも話せるよ」と言ってくれます。相変わらず、ひねた言い方をするんですが、この言い方をする時は何かあるなと要領もわかってきました。すごくわかりやすい母なんです(笑)。すぐにカーッとなるくせに、嬉しいことを素直に「嬉しい」と言えなくて、でも、心根は優しく、涙もろい母。小さい頃、こういう感情が芽生えていたら、親子関係はもっと違っていたと思いますが、この年齢だからこそ、母のことを理解できます。
今、私は母に甘え、もう1回、子供時代を2人でやり直しているような毎日です。
湧きあがる思い
みんな、ポッカリ心に穴があいています。何か抱えているんだけど、話をする場所や相手がいないんです。私は在家仏教こころの会に入って、いろんな人との関わりの中で変わることができました。だから誰かに何かを「してあげる」のではなく、「一緒に幸せになろう」と、手を広げて迎えたい。自惚れではなく、そういう気持ちが自然と湧き上がってくるんです。
私が関わって、自分を見つけた人が何人もいます。たとえばAさん。Aさんの話はいつもきれいごとで、そのために小さな嘘もつきます。「なぜ?」と気になっていたんですが、実は小さい頃、母親が家を出ていったので1人にされるのが怖いんですね。人に嫌われたくないという思いで必死なんです。「あるがままでいいんだよ」と話をしたら、彼女は清清しいくらい変わりました。
それからBさん。すごく物わかりが良くて、「そうですね」「良かったですね」とごもっともなことを言うけれど、私から見ると上辺だけ。「なぜ?」と話を聞いていくと、この方の両親は本当の親ではないんです。でも、ずっと「今の親で良かった」と言っていた。だけども、本当は寂しくて「産みの親と暮らしたかった」との思いを隠して、明るく振る舞って生きてきたんです。そこに触れた時、彼女は私の前でボロボロ泣いて、初めて感情を出しました。その帰り、Bさんは「外の景色が違って見える」と言っていました。
私は、本音を受け止める場、本音を語り合う場をつくっていきたい。本音って、すごく汚いですよね。 “他人の不幸は蜜の味 ” と言うけれど、それが人間の根性なんだと思う。こんなことを思う自分はダメなんだというのではなく、人間だからそんな感情もある。だけど、「なぜ?」こういう思いが出てくるんだろう、変えていけたらいいねって、一緒に考えていくことが大事なんじゃないかな。そうやって互いに支え合って、前向きに幸せになっていきたい。
近所のお母さん方と話をしていると、「染谷さんって、変わってるね」と言われます。中には「神経質すぎる」って言う人もいるけれど、よく「話を聞いて」とお茶に誘われるんですよ。それがいつの間にか “自分を語り合う場 ” になって、本当に心って深いなと感じています。
(大きな乗りもの 2006年05月号)



