【しあわせになる本の紹介】 No.20

「どうせ苦労するなら、3人で苦労しようよ」
目に見えるモノすべてを失って得た娘のひと言。 われに返る。

東京都板橋区 岡部幸一郎(50歳)・厚子(54歳)

[夫・幸一郎]

自分の力だけを信じて生きてきた

 私は完璧主義者です。自分が思ったように物事が運ばないと嫌で仕方がなく、強い自分でないと自分が許せません。他人より能力があると思っており、どんなことも完璧にこなしましたから、周囲も私の力を認めて私に従いました。私は自分の意見をすべて通して、思い通りの人生を歩んできたのです。
大学を出て、父の会社を継ぎました。といっても、父は3、4人の職人を使ってスーパーなどに卸す冷蔵ケースを製造していたのですが、病気で倒れて仕事ができなくなり、会社は倒産寸前。そんな会社を継いだのですから、決して楽ではありませんでした。
当時、私の肩書は専務でしたが、実際には父の代わりに会社を仕切り、社長として仕事をしていました。一日中外を回って顧客開拓し、夜は得意先の接待です。実は私は酒は一滴も飲めないのですが、仕事を獲得するために毎晩、お客さんを連れて飲み屋をハシゴしました。営業で外に出ている以外は、工場で職人さんと一緒に油まみれ、汗まみれになって働きました。とにかく、仕事、仕事の毎日でした。
がむしゃらに働いて、やっと会社を軌道に乗せました。もともと完璧主義者ですから、どんな無理な要求もきくし、納期は守るし、完璧に仕事を仕上げるので、今度は仕事が途切れないくらい忙しくなりました。この業界では、3、4人の従業員で年間7、8千万円も稼げればいいほうですが、うちは年商2億を超えていました。工場は分刻みのスケジュールでフル稼働し、私は3時間の睡眠時間をとるのがやっとという状況で、まったく限界を超えていました。ネコの手も借りたいくらいの忙しさで、その頃から妻も工場に出て仕事を手伝うようになったのですが、これが男顔負けの働きぶりでした。
この仕事はきつくて汚くて危険で、俗に言う3Kの職場でもともと職人の出入りが激しいのですが、うちは特別忙しく、入ってもあまりの忙しさに根をあげて長続きしません。職人が一人もいないという時期もありました。そんな時でも私は自分を信じて乗り越えてきました。得意先は大きな家電メーカーで、同業者が次々と駄目になっていく中、生き残ったのはうちだけ。私はますます自信をつけ、まさに恐いものなしの人生でした。

仕事が人生のすべてだった

 その分、家庭のほうは駄目でした。典型的な仕事人間ですから、こんな男の家庭は大変です。
大学を卒業した年に結婚しました。相手は4つ上の姉さん女房。私は一人っ子なので、結婚後は両親と同居しました。仕事で忙しく、休みの日でも家で過ごしたことがありません。それは娘が生まれてからも変わりませんでした。家族旅行に行ったことがないし、子供を連れてファミレスに行ったことすらない。私は20数年間、たった一度も家庭を顧みたことがないのです。仕事だけが私の人生のすべてであり、生きがいでした。
そもそも、家庭とか友人というのは、私にとっては別世界のものでした。仕事以外は全部付属品。つきあうのは仕事関係の人だけでした。金にならないつきあいは一切しませんでした。そのせいでしょうね、多くの友人が去っていきました。また、はっきり言うと、家族も自分にとっては重要な存在ではなかったのです。
というのも、私自身家族がどういうものなのかわからないのです。子供の頃から両親を含めて家庭という形態がなく、一家団らんとは無縁の生活。母との確執があって、私は母を愛せなかったし、母も私を愛してはくれなかった。親子であっても冷たい関係でした。そんな私に新しい家族ができても、今までの経験を繰り返すだけ。「家庭なんてこんなもの」と思い込んでいました。

初めて味わった挫折感

 完璧な自分を維持していくには、すごいエネルギーが必要です。私の仕事は、毎年11月20日で一年の仕事がほとんど終了するのですが、決まって23日あたりから一週間くらい風邪で寝込みました。それまでずっと気を張って仕事をしていますから、急に気が抜けてしまうのです。それくらい、いい仕事をするために、いつもギリギリの状態まで自分を追い込んでいたのです。8年前のあの日もそうでした。
私は自宅で倒れて救急車で運ばれました。脈が乱れ、気持ちが悪くて、初めて自分の意思で自分をコントロールできないことを経験しました。この時、血圧は上が260で下が180。それでも気が強い人間ですから、翌日病院から出たのですが、一週間後にまた同じ症状で入院。出てきたらまた入院。わずか1カ月の間に3回入退院を繰り返したのです。それからが地獄の苦しみでした。仕事をしていても急に脈が乱れたり、電車には乗れない、外も歩けない。一人でいると不安で仕方がないのです。重い自立神経失調症でした。
強いはずの自分が急に弱くなっていくのを感じて焦りました。
3年間、寝たり起きたりの生活でしたが、薬を飲みながら仕事を続け、会社は安泰でした。
会社は1億5千万円の負債がありました。順調に返済していたのです。ところが2年前、会社の負債を国の整理回収機構が引き継ぐことになり、期日までに一括返済しないと担保を取り上げるという通告を受けました。しかも期日は2カ月後。無茶な話です。国の政策とはいえ、ずっと黒字が続いている会社を潰す必要があるのか。でも、本当にその通りになりました。保険や蓄え、家中の金を全部かき集めて、下請け業者に全部払ってきれいにしたところで、担保取り上げで家も工場も全部なくなってしまいました。
工場は、私の血と汗と涙の結晶でした。25年間守り続けてきたその工場がなくなったのです。自分の人生がゼロになりました。生きていくあてもなく、今まで味わったことのない挫折感に苛まれました。それはおそらく妻も同じだったと思います。
昔みたいな気力、体力がなくなって、自分をコントロールできなくなっていました。何かのことがきっかけで爆発したんです。結婚して初めて妻に手をあげました。髪の毛をつかんで振り回して……。それはもう修羅場でした。

娘のひと言に救われた

 妻は家を出て行き、帰って来ませんでした。どこにいるかも知らないし、探すつもりもありませんでした。「もういいや」という気持ちでした。いろいろ考えて、私はこれから一人で生きていこうと決心しました。そのほうが私自身、楽だと思ったのです。もう昔みたいに、自分を維持していくエネルギーは残っていません。妻や娘にしてもそのほうが絶対いいに決まっている。そう思って娘に話をしました。
「これからオレは自分一人でやっていく。お前はお母ちゃんを助けて、一緒に生きていってほしい。そうすればなんとかなるだろう」
娘とまともに話をするのは年に1、2回あるかないかです。父親らしいことは何一つしたことがなく、今までの娘との関係を考えると、娘は当然そうするだろうと思っていました。ところが、娘から出た言葉はまったく違っていました。
「お父さん、どうせ苦労するなら、3人で苦労しようよ。私はそのつもりでいるよ」
娘がこんなふうに言うなんて想像していませんでした。娘のひと言で、今まで自分が背負っていた重荷がストンと落ちて軽くなりました。自分を支えていく不安、家族を養う不安、将来の不安、母への憎悪……。本当にいろいろなものがスーッと消えて楽になったのです。
私は、その娘のひと言に救われました。娘を偉いと思いました。今まで自分以外の人を偉いなんて思ったことのない人間が、正直そう思ったのです。そして、娘をこんなふうに育てた妻を心底、偉いと思いました。相手が落ち込んだ時に、よくぞこういう言葉が言える人間に育ててくれたなあと、頭が下がる思いでした。
結婚して30年近く、私は家族のことを考えたことはありませんでしたが、この時初めて「私には家族がいるんだ」と心の底から思えました。こういう感覚は初めてでした。
こうやって昔のことを話せるのが不思議な感じがするんですけど、あの修羅場を経験しなかったら、絶対に辿り着けないことでした。
娘の言葉を聞いてからの私は、普通の人間になりつつあります。あれほど憎んでいた母親に対する怨念が消えて、楽になりましたし、今は人さまに頼っていられます。人さまに頼れる、本音でしゃべることができるというのは、本当に楽ですね。
その後、新しい会社を設立して仕事も再開しました。これまでの私は、完璧に仕事をしているんだから仕事をくれるのは当たり前、私がしなかったら大変なことになるぞという傲慢な態度でした。でも、今はやらせていただきますという感謝の気持ちで仕事をしています。自分よりも年の若いお客さまとも、普通につきあえるようになりました。
ずっと自分一人で生きていけると思っていたけれども、人間というのは一人では生きていけませんね。誰かに支えられながら生きているんですね。私には家族がいて、友人がいて、仕事仲間がいて、互いに支え支えられてみんなで生きているんだと、本当に初めて実感しています。

[妻・厚子]

家族間の深い溝

 夫は何をするのも徹底してやらないと気がすまない性分で、仕事をしていることにのみ自分の価値や存在を感じている、そんな徹底した仕事人間でした。
家には寝るために帰って来るような人でしたから、家の中はいつも、同居している夫の両親と私と一人娘の4人だけ。夫と一緒に食卓を囲むことも、語り合うこともありませんでした。まして家族でどこかに遊びに行ったり旅行なんて一切ありませんでした。
同居している義母と私の関係は、決してよいとは言えませんでした。
夫は一人息子です。一人息子の嫁にはこんな女性を……という義母なりの夢や期待があったに違いないのですが、かわいい息子が連れて来たのは学歴もなく、しかも年上ですから、納得できなかったんだと思います。よくある嫁姑の仲で、日々ストレスがたまりました。ところが、愚痴をこぼしたくても肝心の夫はいません。この思いをどこにもぶつけられず、そのことも私を苦しめました。
夫と義母にも深い溝がありました。夫は自分の母親に絶対的な信頼がおけず、愛したいのに愛せない葛藤を抱えていました。義母は歩きながら大金をドブに捨ててしまうような浪費家で、高価な着物を購入したり、不動産に手を出したり、人にだまされたりと、よくお金のトラブルを引き起こす人でした。
何か起きるたびに夫が尻拭いをしなくてはならず、義母に対する不信感は無理からぬこと。母親を愛せない人が他人を愛せるはずがなく、家庭が2番目、3番目になるのは当然だったかもしれません。
その分、義父はやさしく、私をいたわってくれました。なんとか我慢して、自分の気持ちを維持できたのは、義父と娘の存在でした。

父親の悪口は言わない

 仕事しか眼中にない夫は、夜はお得意さんの接待で帰宅はいつも夜中でした。お酒は一滴も飲めないのですから、その意味では本当に苦労したと思います。
でも、娘がだんだん成長してくると、娘は娘なりに、父親不在の家庭に疑問を持つようになっていました。
小学校に入った頃、「お父さんはいつも家にいないけど、夜もお仕事しているの?」と聞かれました。この時、どうしたものかと迷いました。一瞬、「上野あたりの飲み屋にでも行っているんでしょ!」と、鬱積した感情を全部娘にぶつけたいという思いにもかられました。
でも、そんなことを言ったら、娘は父親をそういう目で見てしまいます。その時、ある方の話を思い出して、思い止まりました。
「どんな父親であっても、母親が子供にお父さんの悪口を吹き込んだら、家庭は崩壊しますよ。子供が成長したら、お父さんだけでなく、そういうお父さんと夫婦でいること自体に疑問を持つようになって、今度はお母さんをも軽蔑するようになります。賢い母親だったら、そういうことはやめておきなさい」
この話を聞いた時、まさに我が家のことだなあと思っていました。かといって、言い訳をしたり、繕うのは嫌でした。いろいろ考えて、娘にこう言いました。
「お父さんはお酒を飲まないよね」
「ウン、飲まない」
「でも、他の大人の人たちはお酒を飲むの。そういう場所に一緒に行って、いろいろお話をして、お仕事をもらってくるのよ。だから、お父さんは夜もお仕事していることになるわね」
娘は納得した様子でした。
こんなふうに言う私は、さぞや賢い母親のようですが、実際はそうではないんです。夫や義母のことでストレスがたまっていますから、ヒステリーが起きるんですね。ちょっとしたことで子供を叱ったり、理由もなく急かしたり、年に1、2回は爆発して、大声で怒鳴ってしまうことがありました。

夫の中の大きな冷たい塊

 ある時、珍しく夫がお酒を飲んで「ただいま、今、帰ったよ」と上機嫌で帰って来ました。夫は今まで「ただいま」なんて言ったことがありません。こんなに楽しそうに、自分をさらけ出した夫の姿を見たのは、私も娘も初めてでした。娘が小さな声で私に言いました。
「お父さんって酔っぱらうとかわいいね。私、ああいうお父さんって好きよ。でも、どうして普段は私たちの前で自分を出さないのかなあ。お父さんの家族は、お母さんと私しかいないのに」
娘は高校生になり、父親のことがわかる年頃になっていました。娘は仕事の面では父親をとても尊敬していましたが、一家庭人としての父親には不満があったと思います。
これは真剣に話さないといけない、夫と義母のような親子関係にしてはいけないと、私は慎重に言葉を選びながら話をしました。
「お父さんが自分を見せないのは、心の中に大きな冷たい固い塊があるからだと思うの。その冷たい塊は、ずっと親を信頼できなかったせいだと思う。あなたもお父さんをトコトン嫌いになったら、自分が幸せになれないよ。お父さんが自分の中からその塊を外に出すまで、いつかわからないけれど、それを溶かしてあげられるのは私とあなたしかいない。特に、血がつながっているあなたが一番必要なのよ」
娘がポロッと涙を流しました。そして、「よく今まで別れなかったね」と聞くので、こう言いました。
「もし、お父さんと別れたら、あなたはお母さんについてくるでしょう。そうしたら、お父さん一人で、自分の中の冷たい塊と格闘することになるよね。そう思うと、おこがましいけれど、お父さんがかわいそうになるの。どんなに甘えん坊で困ったお父さんでも、あなたを一番愛しているのはお父さんしかいない。お母さんの勝手で、あなたからお父さんを取り上げることはできないよ」
日頃から私と娘とはよく話をするほうでしたが、この夜はいつもより長く、いろいろな話をしました。

大きな試練のあとに

 2年前、夫と一緒に汗水流して支えてきた工場と家を失いました。今までのすべてをなくしてしまいました。悲しかったです。
そして、互いに気持ちの余裕をなくしていたこともあって、些細なことで夫と大喧嘩してしまい、とうとう私は家を出ました。夫に対する怒りが爆発してしまったんです。
3日間、一人でホテルにこもり、今までのこと、これからのことを考えては眠れない夜を過ごしました。何度もこのまま別れようと思いました。でも、そうしたら今まで悔しい思いをしてきたことがすべて無になる。第一、これから嫁ごうとしている娘の負担になります。それがどうしても嫌でした。
そこで、どんなに悔しくても、ここは膝を折ってみようと決めました。その先に何があるか、自分の目で見極めてからでも遅くはないと思ったんです。
3日目の夜、「やり直すつもりで帰って来ました」と夫に頭を下げました。しかし夫の表情は固くて、本当にこんなことでこの先やってゆけるのだろうかと、悲しくて不安でいっぱいでした。そんなくじけそうな私の思いをわかって聞いてくれる友がいて、乗り越えてこられたと思います。
その後、ある場で夫の口から、娘が「どうせ苦労するなら3人でしようよ……」ということを言ってくれたと聞かされました。うれしかったです。
娘がどういう気持ちで夫にそう言ったのか、本当のところはわかりませんが、父親を思ってそういう言葉が出てきたのだと思っています。
あれから二年。狭いマンション暮らしですが、家族3人でゆったりと落ち着いて生活しています。私の人生の中で、今が一番幸せです。あの時、震えるほど悔しくても、帰って来てよかった……。
夫は顔つきや態度、義母に対する気持ちがずいぶん変わりました。そして、夫の中にあった大きな冷たい塊が溶けたと聞いて、それが何よりもうれしいです。
何でも完璧でないと気がすまない夫に対して、私は長い間、私なりの意地がありました。仕事も家事もできないとは言えなくて、必要以上に頑張っていたんです。
でも、もう無理はしません。夫には肩肘張らずに接することができるようになりました。互いにまだ照れくさいのですが、肝心なことは話をするようになりました。
今、3人で一緒に暮らせる限られた家族の時間を、一日一日大切に過ごしています。

(大きな乗りもの 2003年2~3月号)

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