【しあわせになる本の紹介】 No.17
心にずっとしまってあった “こと”を、やっと口に。
|
誰にも言えない
私には38歳になるまでずっと、誰にも言えない “こと” がありました。
そんな私が、両親と向かい合って、わかり合って、自分の思いを話し合えるようになったのは、娘のおかげです。
そして、自分の本当のことを人の前で話す勇気をくださったのは、在家仏教こころの会の同じ年代の会員さんです。その方は子供さんのことで悩んでいました。
その方の子供さんは健康を害していてなかなか仕事に就けず、精神的にとてもまいっていました。そんな中で、その方はつどいに来て「自分は親父と関わり合ったことがないから、なかなか息子とも話し合うことができないんだ」と打ち明けてくれました。
その時私は、「お父さんとして子供さんに対してどんな心を持ってるんですか?」「ホントのホントの気持ちはどう思ってるんですか?」と何度も聞きました。そしたら「本当の気持ちは “いなければいい” と思ってます」と口に出したんです。その時、その方は自分が発した言葉にハッとしたそうです。
あとになって、「それがきっかけとなって、今は話をするようになりました」と聞かせてくれました。
人は、人の前で自分の本当の心の中をあるがままに話すということはとっても大変なことなんだなあと、なかなか話せない人はたくさんいるんだろうなあと思いました。
そういう私もその一人でした。
私にも、人にはなかなか話せない “こと” がありました。それは私が4歳の時のことでした。私には3歳違いの妹がいましたが、その妹は1歳半で亡くなりました。その時のことがずっとあって、私は38歳になるまでとても怖くて、両親に話すことはできませんでした。
その会員の方との話を通して、自分も自分の心にある本当の話を打ち明けてみようと、そんな勇気をもらったように思います。
そして、その話をするきっかけをつくってくれたのは一番上の娘でした。
娘がくれた “きっかけ”
ある日、娘は私のお財布からお金を盗りました。
でもまあ、もうその時は娘もお経をあげていましたので、私は「2階に行ってお経をあげてきなさい」って言いました。
頃合いを見ながら私も2階に上がって行くと、娘はさすがに良心の呵責か、法座(仏壇)の前ではなく部屋の隅っこでお経をあげていました。それを見て、 “あぁ、悪いことをしてしまった” って反省してるんだなと思いました。
そして、その時初めて、娘と膝をつきあわせて話をしました。
それまで私は娘のことを、おとなしくて素直な子だと思っていました。
でも、聞いたら、「お母さんのことは4歳の時から大っ嫌いだったよ。『あれはダメ』『これはダメ』『早くしなさい』そんなことばっかりしか言わなかったでしょ。私は高校を出たら、こんな家なんか出て行ってやるって、ずっと思ってたよ」と聞かせてくれました。
私は、「ねぇ、何をなくしたかわかる?」と聞きました。娘は一瞬 “もらったものはあるけど、なくしたものはないぜ” って思ったそうです。
でも、とっさに私に「信頼関係?」って聞いてきました。
「そう。お前とお母さんと、11年間、信頼関係をつくってきたけど、お前はその信頼関係を自分の手から崩したんだよ」って話したら、娘は心の中で “なんだ、信頼してくれてたんだ” って思ったそうです。そして「お母さん、ゼロから、こっからやるね」って私に言ってくれました。
実は、私も子供の頃、親の金を盗んだことがあるんです。私もこの教えをしていなければ、そんな自分を棚に上げて、「いくら盗ったの?」「何回やったの?」と、きっと親面して責めていたと思います。
ちょうどそんな時、私の父と母が家に遊びに来ていました。娘のそのことを知って、父と母は「お前ね、お前が出て歩いてばっかりいるから、留守してるから、こういうコトをするんだよ」と、私に注意しました。確かにそういうこともあるかもしれません。
私は、すごく反省させられました。でも、これがきっかけとなって、娘と、ここから、向かい合うことができるようになりました。そして、この娘とのことによって、私はなにかその時 “自分の4歳の時のことを話すチャンスだよ” と、背中を押されたような気がしました。
父ちゃん、母ちゃん、私ね…
そうして私はついに、38歳になるまでずっと怖くて、誰にも言えずにきた、あの4歳の時のことを、父と母に切り出すことができたんです。
「私ね、ずっと怖くてなかなか話せなかったんだ。妹は……、妹のミヨコが……、1歳で亡くなったよね」
あの当時は戦争が終わったばっかりで、大変な世の中でした。ウチも貧乏でしたけど、それでも父と母は一家7人を食べさせていかなければいけなかったんです。
「父ちゃんと母ちゃんは、朝から晩まで働いてたよね。4歳の私と1歳の妹が、一日中、6歳上のセイちゃんが帰って来るまで2人で留守番してたよね」
「そんなある時、ミヨコがお腹の具合を悪くして……。母ちゃんがリンゴをすって食べさせていたよね。私は4歳だからリンゴをするっていうことがわかんなかったんだけど、昼間、リンゴを細かく刻んでちょっと水を入れて、ミヨコに食べさせたんだ……」
それから3日ぐらい経ったあと、妹は入院して、十日目に亡くなりました。
それから私は38歳になるまでずっと、 “自分が殺したんだ!” と思っていました。
「だから父ちゃんと母ちゃんには、ずっと言えなかったんだ……」
そう言ったら、父と母が、「千代子、お前じゃないよ。あの時はお金がなくて、医者に連れて行かれなかったんだよ。だから手遅れになっちゃったんだ。だから、お前じゃないよ。貧乏の犠牲になったんだよ。父ちゃんと母ちゃんが殺しちゃったようなもんなんだ」
と、私の思いを聞いてくれて、受け止めてくれました。
その時からだと思います。私は少しずつ明るくなっていきました。
幸せになっていいんだろうか
私は38歳になるまで、この “こと” を誰にも言えずに生きてきました。今でも、リンゴを細かく切ってお水をちょっと足したあのお皿を、忘れることができません。鮮明に覚えています。
そんな自分だったので、 “こういうことを思ってる、心にこういう思いを持ってる” そういうものがどうしてもありました。
小学生の頃、私は国語の時間に本読みを当てられると、悲しくもないのに涙が出そうになってしまう、とっても気のちっちゃい、勇気のない、内気な子供でした。
社会人になってもそれは同じで、会社の組合の会議があるんですけど、やっぱり悲しくもないのに涙が出てきて、話すことができなくなってしまった、そんな小心者の大人になっていました。
生活がだんだんよくなっていくと、母が時々思い出したように「ミヨコは可哀相だったね」って言うんです。
そういう話を聞くたびに、私は “私ばっかり幸せになっていいんだろうか” と思って辛い思いがしたものです。
今の自分、ここから生きる!
そんな私だったので、友達なんて私には面倒くさくって煩わしくって、1人か2人いればいいとずっと思っていました。
でも、この会にめぐりあって、1人2人と関わり合っていく中で、 “人っていいな! こんなにもいいもんなんだ!” って、やっとわかりました。そして、少しずつ自分のこの面倒くさいと思う心が、だんだんと少なくなっていきました。
ここまでくる間には、人から元気をもらうことがたくさんありました。人から教えられることもたくさんありました。いろんな人と、いろんな考え方とめぐりあうことができました。
そして、心にずっとしまってあった “こと” を、両親と向かい合い話ができたこと、それをまるごと受け止めてくれたこと、今は父と母に感謝します。
きっと母も、子供を亡くしてとても辛かったと思います。私も4人の子供がいます。子供を持って初めて、辛かった親の思いが今はわかります。
これからの自分は背伸びをせずに、今の自分で、ここから生きていきます。
人は、なかなか自分の心の中をあるがままに話すことはできないものです。それにはとても勇気がいるし、話したくないと思うこともたくさんあります。でも、コミュニケーションをとってみると、だんだんと何かが見えてきます。
今、私は、この命の源である先祖、そして両親、家族、大勢の人たちに、感謝しています。
お互いに向かい合って、話し合って、わかり合っていくことが本当に大事なことなんだなあって、本当にそう思っています。
(大きな乗りもの 2005年4月号)



