【しあわせになる本の紹介】 No.16

「一緒に生きようね」、生きる意欲がよみがえる。
支えられるだけではなく、
支えにもなれる自分を感じて走る。

群馬県邑楽郡 富塚かず子(47歳)

3つの金メダル

 今年、47歳になった私ですが、私の趣味は駆けっこです。私は子供の頃から駆けっこが大好きで、学生時代には陸上をやってきました。高校時代には日本選手権の400メートルリレーに高校選抜第2走者として出場し、日本一になったこともあるんです。その後は日本体育大学に進学し、インカレなどで活躍しました。結婚後は少しブランクがあったのですが、子育てが一段落した時、「もう一度、走りたい」とジョギングから再開して、今も走り続けています。
昨年の12月にタイの首都バンコックで開催された「第13回アジアスターズ陸上大会」に、観光半分と気楽な気分で出場して、女子(45~49歳の部)400メートルと800メートル、400メートルリレーでなんと優勝(笑)。初出場で3つの金メダルを取り、「初出場で3冠」と地元の新聞社にも取材をされて、自分でもびっくりしました。これは人に自慢できることではないかなって、今は自信をもって人にもお話をしています。
でも、以前の私はこんな私ではありませんでした。知り合う人に「なぜ、そんなに夢中で走るんだい?」と聞かれたことがあります。再び、走り始めたのは今から14年前ですが、そのきっかけは家にいるのがとても辛くて、家にいられない状況だったからです。「すべてを忘れたい」その思いから、現実から離れ、辛いこと、苦しいことを走ることにぶつけていたんです。

幸せが一転して

 私は両親から、大事に育ててもらいました。母は私が高校生の時に亡くなりましたが、その後は父が男手一つで私たち姉弟を育ててくれ、大好きな陸上の道にも進ませてくれました。
そして、大学で知り合った夫と結婚し、3人の子供にも恵まれてホントに幸せな毎日でした。でも、東京では狭いアパート住まいだったので、父に「子供たちを群馬の広い土地で育てたい」と頼んで、父は百五十坪の土地を私たちのために用意してくれました。
思えば、その頃から、東京で生まれ育った夫と、群馬の土地でのびのびと子育てをしたいという私との思いがズレ始め、歯車が少しずつ狂っていったのかもしれません。
そうこうしているうちに、真面目に働いていた夫が職を転々とするようになったんです。夫は群馬の暮らしに慣れずにさびしかったのかもしれませんが、生活のためにとうとうサラ金に手を出したんです。借金が借金を生んで、私たちは借金地獄に陥ったんです。仕方なく私も子供を保育園に預けて、仕事に復帰しました。それでも、借金を返すために収入はすべて取られてしまう。
私たち親子はパンの耳を食べての生活で、とても辛く、子供たちに申し訳ない気持ちでいっぱいでした。その後、職に就いた夫でしたが、会社で900万の使い込み。その挙げ句に、父の家と土地の権利書を持ち出したんです。

もう死んでしまおう

 私はその借金の取り立ての電話がイヤでイヤで、外に出て走り始めたんです。借金取りは昼夜問わず、電話で嫌がらせをしてきました。私に「死んでみろ」と脅かし、夫には保険をかけて、「死ぬのもあんたの勝手だ」と言ってきました。その当時は、パジャマを着て寝るなんてことはできませんでした。もう家にいることが本当に辛かったんです。
当然、3人の子供を抱えて「この先どうしよう」「死んでしまおう」「死んだら、楽になる」と死ぬことばかりを考えました。その時はどうしたらいいのか、まったくわからなかったんです。当時の私は現実から逃げたい、人と会うのが怖いとマイナス思考が強くなっていたんだと思います。食事も喉を通らずに、心身ともにボロボロになっていきました。
結局、夫とは離婚しました。そして、夫が去った後には3人の子供と、多額の借金だけが残りました。

すみれ学級の仲間たち

 夫と離婚したあと、「あなたが奥さんですか?」と、今度は裁判所から電話がありました。その時に、初めて家と土地を競売にかけられていることを知りました。私は「父が用意してくれた土地なのに、なんで?」と、ものすごく悔しかったんです。
そんな頃に地元のすみれ学級(キャプテン21)に出合いました。主宰者の田口法枝さんはとても気さくなお母さんみたいな感じの人で、気がつけば自然と私は自分のことを話していました。父にも話せなかった今までの辛かったことをすべて話して、泣き崩れました。
話を全部聞き終わって、法枝さんはひと言だけ「気をしっかりもって、一緒に生きようね」と言ってくれたんです。その言葉で “私は一人じゃないんだ” と思えて、子供たちと一緒に生きていく方法を探せそうな気がしたんです。私一人だったら無理でも、すみれ学級の仲間と一緒にだったら生きていける、そんな気になったんです。
すみれ学級の仲間は、私を積極的に学級に誘ってくれて「体操やって」「受付できる!?」と私の役割をつくってくれました。 “こんな私でも、何かのお役に立つことがあるんだ” と、人との関わりの中で、私は少しずつ立ち上がることができるようになれたんです。

新たなスタートライン

 法律が私たち親子を許してくれませんでした。家と土地の明け渡しを迫られ、困り果てた私は父に、「お金を貸してください。そうすれば、この家から出て行かなくてもよくなるから」とお願いしたんです。でも、父は「それはできねぇ。無理だって」と私を追い返したんです。私は血も涙もない父のことを恨みました。「親だったら、困っている娘のために貸してくれてもいいのに……」と。
結局、私は父が用意してくれた土地も家もすべてを失いました。私たちは住んでいた家の目の前のアパートを借りて、新たな生活を始めることになりました。畳の数で言えば十枚ちょっとの小さな部屋に、子供と4人の生活。でも、そこで私は決心したんです。「もう何があっても、絶対に負けない」「どんなことがあっても、生きていく」「絶対に幸せになってやる」と自分自身に誓いました。
そして、子育ても一段落つき始めて、本格的に陸上をやってみようとグランドに行って走りました。走って、走って、見えてきたのは大会に出て金メダルを取ろうということではありませんでした。自分自身を振り返って、これからはどうやって生きていったらいいか? 子供たちのために私は何ができるのか? そのことばかりを考えて走っていると、「頑張ってね」「おはよう」「今度、大会はいつあるの?」とたくさんの人が声をかけてくれて、みんなに支えられている私がいたんです。

父の優しさ

 その後、父は体調を崩して、入院して手術をしました。2年ぐらい経った頃に元気になって、私の所へ遊びに来てくれました。そこは、私が家を出されて借りていたアパートです。すみれ学級の仲間も来ていて、仲間の一人が父に「お父さん。今のかず子さんを見て、どう思いますか?」と聞いた時、父は「感無量、もう何も言うことはない」と言ってくれたんです。きっと、いろいろなことをくぐり抜け、少し強くなった私の生き方を認めてくれたのかもしれません。私にとって、とってもうれしいひと言でした。
しばらくして、父は亡くなりました。父のことを振り返ってみて、私は自分のことばかり一生懸命で、早くに連れ合いを亡くして、お酒を浴びるほど飲んでいた父のさびしい気持ちも埋められなかった。それどころか、私のことで心配ばかりかけて、もっと大切にしてあげていればよかったと、見えてきたのは親不孝な私でした。
同時に、あの一大事で厳しく私を突き放してくれたことで、私は強くなれた。あの時、厳しく接してくれたから、私はどんなことがあっても生きていける強さと勇気を手に入れた。それを父は私に教えたかったんだと思えて、今は父に対して感謝の気持ちが芽生えています。
離婚した夫とのこともそうです。私が苦しんでいた思いは、自分の気持ちだったんです。自分は何が足りなかったのかを考えました。本当に夫と心から話し合う夫婦ができていたのだろうか? 今さらですが、いろんな思いが少しずつ見え始めています。

すみれ学級と私

 早10年近くになりますが、すみれ学級の活動を今も続けています。友人や知人を自宅に招いてお茶飲みしたり、廃油を使って石けん作りをしたりと、これまでにもいろんな活動をずっとしてきました。
最初は人を集めることで精いっぱいで、「いい話もあるし、ためになるから来てください」と誘っていたんです。
でも、最近は少し変わりました。参加してくださった人たちから、私はいろいろ学べるし、教えてもらうことがたくさんあるって。
先日も、同じ職場の22歳になるお友達を誘ったんです。そこで一緒に働く女の子からも教わることがたくさんあって、その子を見る目が変わったんです。人と話し合うことで、もやもやしていた気持ちがすっきりしたり、別の見方ができるようになったり、ホントにすみれ学級に関わらせてもらえてよかったと思っています。
自分の職場でも、自分の地域でも、私のやりたかったことをやっと伝えられるようになったというのが私の収穫で、 “人に支えられるだけじゃなくて、人の支えにもなれる私” を感じています。

子供たちの応援団に

 私の次の目標は、2年後のスリランカでの大会。その大会に向けて、これからも走り続けていきたいと思っています。また、家庭では子供たちの夢を一つずつ支えてあげる応援団になりたいと思っています。かつて、父が私たち姉弟にしてくれたように……。
私には3人の宝物である子供たちがいますが、夢は一人ひとりみんな違います。長女は「調理の道へ進みたい」と言い出して、私は “大変な道だな” と思ったのですが、思い切って「頑張っておいで」と送り出しました。次女は今年の春から、「社会人になって、お母さんを助けたい」と頑張って働いてくれています。
3番目の長男は私と同じで、スポーツが大好き。中でもレスリングがとっても得意で「俺はオリンピックに出る」と大きな夢を持っています。オリンピックに出る時は、「お母さんは大声で応援するからね」なんて話しています。
大変なこともありますが、それぞれの夢を応援しなきゃいけないのかなって、今は思っています。そんな楽しみもやっと持てるようになりました。
走りながら思うんですが、私は親になった。でも、子供を産んでお母さんにしてもらったんじゃないかって。子供たちがいたから、頑張ってこられたんじゃないかと、子供たちに今はホントに感謝しています。もちろん、こんなふうに思える自分になれたのも、すみれ学級をはじめ、いろんな人との出会いと関わりがあったからだと思えています。私のことを支えてくれた人に、私の関わる人に感謝の気持ちでいっぱいなんです。
この気持ちを一人でも多くの人に伝えたい。これからも、私は自分の人生を振り返りながら、走り続けて、両親から私、私から子供たちへ、命のバトンをしっかりとつないでいきたいと思っています。

(大きな乗りもの 2005年8月号)

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