【しあわせになる本の紹介】 No.14
リストラ、ガードマンに。
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サラリーマンから警備員へ
工事会社に勤務していたんですが、1年前、リストラにあって失業しました。社会全体そうですが、ここ数年、給料はどんどん下がるわ、ボーナスは出ないわ、厳しい状況ではあったんです。最後の半年間は給料も遅配で、ひどい時は3分の1ずつ支給ということもありました。
景気がよかった頃は、給料も待遇もよかったんですよ。でも、不景気になってからは、苦しい経営の中で経営者もなんとか資金を工面しながらやってきたのを知っていますから、仕方ないです。それに私だって、会社が危ないことをわかっていて、結局会社にズルズルと居続けたんですから。
私は今、50歳です。ご存知の通り、この時代、中高年の再就職はきついんですよ。多少の資格を持っているにせよ、他の会社で通用するような特別な知識とか経験がありません。でも、家族の生活がありますし、家のローンもあります。また、父親が仕事もせずにブラブラしている姿を子供(中学2年生)に見せるわけにもいきません。
のんびりと再就職先を探しているわけにはいかず、取りあえずすぐに働ける仕事ということで警備会社に再就職しました。前の会社が工事関連の仕事でしたから、これだったら違和感なくやれるかなと思って。実際、仕事を選り好みできる立場じゃないんです。格好つけている場合じゃないんです。それで私、今、ガードマンをやっています。
ほんの腰掛けのつもりが…
よく道路やマンションの工事現場などで、旗を持って通行者や自転車、車両の交通誘導をする人を見かけると思いますが、それが私たちガードマンの仕事です。ユーザーである企業から依頼を受けて工事現場に派遣される仕組みで、その日によって行き先も勤務時間帯も様々です。
社員として就職したけれども、給与体系は基本的に日給(あるいは時給)計算ですから、朝、昼、夜、また休みも関係なく仕事をしないと生活できるレベルの収入にはなりません。「夜勤の仕事はしない」「週休二日」という希望を会社に出せばその通りにできますが、わがままを言っていたら、会社から “こいつは使えない” と思われてしまいます。なにせこういう時代でガードマンになる人が増えていて、競争が激しいんですよ(笑)。
私は何でもいいから仕事を回してほしいと言っているので、どうしても夜勤の仕事が多くなります。先月は4、5日を除いてすべて夜勤でした。忙しい時期だと、昼間出て、一旦家に帰って、また夜に出て行くということもあります。
一日中立ちっぱなしの仕事ですから、慣れるまでは大変でしたけど、肉体労働ではないので体力的にきつい仕事ではありません。もともと体は丈夫ですし、現場仕事が性に合っているんでしょうね。当初、警備会社は腰掛け的な仕事で、その間に別のところをさがすつもりだったんですが、最近ではガードマンの仕事もそう悪くないなあと思い始めているところです。
人との出会いが励みに
警備会社には、社員やアルバイトを含めて約70名がガードマンとして働いていますが、みんなそれぞれいろんな事情を抱えています。就職浪人や公務員をめざして勉強している若者もいれば、定年退職した60代70代もいます。やはり圧倒的に多いのは、私のようにリストラにあったとか、会社が倒産してしまって仕方なくガードマンになったという40代50代です。中学生や高校生の子供がいたり、家のローンを抱えていたりで、「お互い、大変だな」「でも頑張ろうな」なんていう話から意気投合し、いい仲間づくりになっています。
もしあのままずっとサラリーマンを続けられていたら経済的には安定していたでしょうが、それでは絶対に会うことのなかった人たちです。そんな人たちとの出会いが毎日あって、それが仕事をやっていく上での励みです。また、交通誘導というのは工事現場では絶対に必要な仕事で、工事業者の方々や歩行者の方々の役に立っているんだという自負も最近は持ち始めました。
ガードマンの仕事を始めた時、周囲の人から「その年でそんな仕事をしててどうすんの」と、いろいろ好き勝手なことを言われたものです。でも一人だけ、「いろいろな出会いがあるわね」と声をかけてくださった方がいたんです。その言葉が励みになりましたし、本当にその通りでした。
どんな仕事をしていても、出会いがあればたくさんの人から多くのことを学べるし、やり甲斐や楽しみを見出せるものですね。今は心底そう思えますが、以前はそうではありませんでした。
あたたかい家庭に憧れていた
若い頃、私は人との出会いが楽しいと思える人間ではありませんでした。母から「友達は選びなさい」なんて言われていましたし、むしろ人づきあいは淡白でしたね。家族との関係もそうでした。実家は東京ですが、両親は世間体を気にしたり、プライドの固まりのような人ですし、兄や妹とは他人行儀な関係でした。殺伐とした親子関係、きょうだい関係。「家族なんてこんなもの」とずっと思っていました。
世間に名前の通った企業に就職し、転勤先の名古屋で妻と出会いました。とてもやさしい女性で、そのやさしさに魅かれて結婚しました。やさしいのは妻だけでなく、妻の家族がみんなそうなんです。「家族でこんなにいろんな話をするのか。きょうだいってこんなに仲がいいのか」と驚きました。
妻や妻の家族のやさしさやあたたかさは、在家仏教こころの会の教えが土台にあると思います。結婚を機に私も会員となり、出会いの楽しさや友との語り合いの大切さにめざめていきました。地域や職場、PTA、様々な場所で多くの人たちと交流を持ちたいと思うようになりました。家に帰れば、どんな些細なことも夫婦や家族で話をしました。本当は小さい頃から、家族で何でも話ができるあたたかい家庭に憧れていたんです。でも、冷たい家庭の中でその思いが封じ込められていたんですね。妻と出会って、やっと封印が解かれた感じがします。
この自分で生きていこう
名古屋から静岡に転勤になったのは今から18年前。30代前半で役職について責任も重くなり、仕事はだんだんハードになっていきました。会社が急成長した時期でしたから、社内には “家庭を犠牲にしてでも会社に尽くせ。私情を交えるな。人を蹴落として……” という厳しさがあって、私たち家族は普通の家庭生活を営めるような環境ではありませんでした。あまりの忙しさからノイローゼ気味になり、精神的に限界を超えていました。
連日連夜、妻と「家族にとって大事なことは何か。私たちはどう生きていくか」を何度も話し合い、私は会社を辞める決心をしました。
そして30代後半で再就職したのが、去年リストラされた工事会社でした。
会社を辞めることは自分でも納得して決めたんですが、「こんな会社に入って俺はいったい何をしているんだ」と自暴自棄に陥りました。その頃はまだ変なプライドがあったんです。というのは、兄は大学教授、義姉は医者、カナダ在住の妹夫婦は大学の理事。兄妹に比べて俺は……という焦りがあって、しばらくは荒れました。でも、そんなことをいくら思っていても何も解決しないんですよね。どうにもならないんです。
40歳になってやっと、「これが今の自分なんだ。きょうだいと比べても仕方がない。今の自分を認めて生きていこう」と吹っ切れた感じでした。
10年後、まさかその会社からリストラされるなんて、夢にも思っていませんでした(笑)。
家族がいるから頑張れる
そんなことがあって、今回も「どんな仕事でもこの自分で生きていこう」と覚悟を決めたんですけど、今回は妻だけでなく、娘の応援もありました。家族に再就職の相談をしたら、「ガードマンなんて面白そうだね」と、真先に賛成してくれたのも娘でした。
娘は今、中学2年生です。
親の私が言うのも変ですが、世間一般の偏見とか尺度みたいなものをまったく持っていないんですね。
父親が工事現場に立っていたら、恥ずかしいとかみっともないとか口に出してもおかしくない年頃ですが、まったく気にするふうでもなく、「今度、見に行くね」「友達ができてよかったね」なんて、あっけらかんと言うんですよ。その点では助かっています。
娘から「世間体が悪い」なんてプレッシャーをかけられたら、父親として辛いと思います。
私たち家族はよく話をするんです。こう考えたらどうかな、こういう見方はできないかなとか。
娘は横で面白がって聞いています。小さい頃からそういう中で育ってきたせいか、考え方が自由奔放で、これもあり、それもありって感じなんでしょうね。本当に面白い子です(笑)。
人との出会いは楽しく励みにもなりますが、それ以上に応援してくれる家族がいることが私の心の支えです。家族がいるから、自分の気持ちを保ったり、コントロールできるんですね。
この先どうなるのか、将来の不安はありますが、今、自分が置かれた環境の中で精いっぱい元気にやっていこうと思っています。
(大きな乗りもの 2004年8月号)



