【しあわせになる本の紹介】 No.10
子供というのは、ありがたいもんですな。
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酒なくて何がこの世の桜かな
ワシは何十年もアルコール中毒で苦しんだきに。いや、まっこと苦しかった。じゃが、ほんまに苦しかったのは自分じゃのうて、女房や子供らやったと思う。
昭和40年、28歳の時に結婚したんじゃが、その3日後から酒が止まらんようになってしもうた。それまではほんま飲まんかった。酒飲みがキライやった。ウソじゃないですき。
ワシが5歳の時に父親が戦病死したんじゃが、その時の親父の最後の言葉が「お国のためと出て来たからにはベッドの上で死にたくはなかった。少なくとも敵の玉に当たって戦場で死にたかった」と。物心ついてからその言葉を聞いて、ワシは「オレも親父の血を継いで立派な男になってみせる」と誓ったもんやった。
そのワシが恥ずかしいことに、どういうわけかアル中になってしもうた。酒なくて何がこの世の桜かなという男に成り下がってしもうた。まあ、祖父が酒好きやったから、ワシももともと酒が好きやったんじゃろうと思う。
あらゆる所に隠しちょって…
酒を飲まれる方もおられると思うが、よう聞いちょってよ。自慢じゃないが、ワシの酒の飲み方は半端じゃなかった。ぎっちり飲むんじゃ。夜が明けたら、目が覚めたらまず何をおいても酒。女房より早く起きるんじゃが、それは隠しとる酒を飲みたいがためやった。
仕事をしとろうが何をしとろうが関係ない。酒が切れかかると飲まんではおられんのじゃ。戸棚の中は言うに及ばず、縁の下、物置、草の中、もう家の周りのあらゆる所に酒を隠しちょったのう。女房や娘がそれを探し出すんじゃ。まるで刑事やな。それでも懲りずに隠したもんじゃ。
ほんで、ちょっとさめかけたら飲みさめかけたら飲みしちょった。もう飲みっぱなしじゃな。酒が切れかかると気分が悪うなって、キューッと一杯ひっかけるとスーッとスッキリするんじゃ。その繰り返しやった。けんど、仕事はちゃんとしよったでよ。
もちろん飲み屋にもよう行った。日に4、5万も使うた。それもそのはずじゃな、飲み屋に行っては片っ端から友達を呼んで、「まあ飲め」とおごるんじゃから。
量も半端じゃなかったき。30代、40代の頃は、毎日毎日浴びるほど飲んでもビクともせんかった。それも、物も食べずに飲み続けるがやき。息子は「親父よ、飲むなとは言わんき、晩だけにしてくれんかよ。今日も酔うて街に出てきちゅう言われるんがもうイヤやき」と言うが、どうにもガマンができんがです。
身体を壊してもやめられん
そんな生活を続けりゃあ、そりゃあたいがい身体も持たんようになる。とうとう50の時に倒れて病院に運び込まれたんじゃ。どこから出血しゆうかわからんほど吐血して、ついに手術。この時はもう助からんと思うたもんやった。静脈瘤破裂やったんじゃが、真っ黒い血が身体中に溜まっちょった。自分の血は全部出血してしもうて、人さまの血で生きていると、後で医者に言われた時は、さすがに生きた心地がせんかった。
その時は、こんなワシでもみんな心配してくれてのう。女房子供は言うに及ばず、こころの会の仲間たちが心配して、手術の時には60人からの人が病院に来てくれたそうで、病院も整理で大変やったと思う。ありがたいことやな。
それでも酒をやめることはできんかった。アル中の治療で何回か病院にも入った。けど、病院に向かう車の中でも飲みゆうがやき、世話ない。コンクリートに囲まれた部屋に一日閉じこめられたんじゃが、これはきつかったな。それでも治らんかった。
ワシのアル中は街中のみんなが知っちょった。自慢にはならんが、有名やった。「謙さんが来たら飲ましたらいかんでよ」。アル中いうのは難儀なき。たとえ一滴も飲んじょらんでも、世間の人は「また酔うちょる」と。まあ自業自得じゃがな。
息子の結婚式の時、息子からは「酔っぱらってる親父じゃ恥ずかしいき、挨拶はせんでもえい。式には出んでもえい」とまで言われたワシやった。
母親を心配した娘は…
まあ、こんなでたらめな生活を平成12年まで続けちょった。35年ほどじゃな。そのワシが、今はプッツリ酒をやめちょる。正直に言うたら正月にちょっと飲んだ。五歳の孫に「ジイちゃんが死んだらいかんき、お酒飲んだらいかん」と泣かれて、これにはまいった。じゃが、それ以外は飲んでないき。ホントのことです。なぜワシが酒を断てたか。お酒の好きな人、よう聞いちょってくださいよ。
今から4年前、高知市内にアパートを借りて病院に勤めていた娘が家に帰って来よりました。これからは家から高知まで通勤すると。ワシの家は田舎で、高知まではこじゃん(たくさん)と時間がかかる。金もかかる。それでも「お父さんがこんなにお酒を飲んだら、もうお母さんのほうが精神的にメチャメチャになってしまう。倒れてしまう。これではいかんき、私はここから高知に通う」と。そういうことやった。
子供というのはありがたいもんですな。こんなワシでも見捨てんでくれちょる。いや、ホントはワシじゃなく女房のことが心配やったんじゃろうと思います。当然のことやが。
酒を断つ一念じゃきに
で、平成12年、ワシは在家仏教こころの会がやっとる七面山修行ちゅうのに行きました。山梨県の日蓮宗総本山・身延山久遠寺を参拝したり、七面山に登る修行ですな。七面山には、こころの会の創立者である久保角太郎いう恩師の記念の宝塔があるがです。
ワシは、どうしても酒を断ちたかった。女房にも長いこと迷惑かけたし、子供たちにも迷惑かけた。これ以上迷惑かけちゃいかん。なんとか酒を断って、少しはまともな人間になりたいと思ったんじゃ。ほんで、七面山修行に賭けよう思うての……。
じゃが、それを聞いた女房や家族はたまげた。そりゃそうじゃ。その前にも行ったことがあるが、その時は飲みっぱなし。道中のバスの中もポケットというポケットに酒を詰め込んで飲んじょった。身延でも夜中まで飲み屋で飲んだ。明くる日はバスの中でもどす始末やった。「また勢いであんなこと言うて困ったもんや。いかんでぇ。よう行きゃあせんき、そんなめんどいこと言いなや」と女房が反対するのも当然のことやった。
じゃが、ワシにとったら最後の賭けや。「いや、ワシはどうにもならん酒飲みやきに、どうしたちやめれんき、七面山で酒をプッツリ断たせてもらう気持ちで行くがじゃ。ワシの決意やき行かせてくれ」と頼み込んだわけじゃ。
その時に娘は女房に、「止めたらいかん。お父さんが自分から行く気になってるんやから、絶対止めたらいかん」と言うたそうです。
そのひと言で女房も心を決め、七面山に送り出してくれました。そして宝塔の前で土下座して、「私はどうしても酒をよう断たずにいます。どうか酒を断たしてください」と念願しました。ホントに一生懸命じゃったきに。その一念じゃったきに。以来、酒は飲んじょりません、正月にちょっと飲んだ以外は。もうピシャリとやりませんき。
あんだけやめれんかった酒が、この頃、どうもなんでか性に合わんようになった。なんであんなに飲んだろうか、そう思う毎日でございます。
まっこと家族が一番よ
ワシは酒で最低のところまで落ちた。アル中はおとろしい(おそろしい)もんじゃ。ようやめられたもんやと、自分でも思う。
ただ、誤解してもろうたら困るのは、七面山に行ったからやめられたのとは違う。自分自身の一念や。「酒を断つ」という固い意志や。これがなかったら、なんぼ七面山に行こうが、病院に入ろうが、何をしようが酒は断てん。
それと家族や周りの人らの協力やな。
今だって、もし晩酌にしても日頃から飲んだら元の木阿弥になると思うき。自分でわかっちょります。ほんで飲まんのです。
まだまだ普通の人間にはなっとりません。普通の人間になりつつあるがです。
女房や子供たちも、こんなワシにようついてきてくれたと思う。ええことなんかひとっつもない地獄のような生活やったきに。親父にこんなことしてもろうた、あんなこともあった、という記憶、思い出はないはずじゃ。
それでもなあ、ついてきてくれたんじゃ。普通やったらとうに見放されて離婚されとる。感謝せないかんな。
娘はまだ独身じゃ。これが親父として頭が痛い。アル中の親がおったら嫁にも行けませんわ、こら。「まあ、親父もだいぶ上等になったから、そろそろどうぞ嫁に行ってくれ」とワシが娘に頼みよります。そうじゃなきゃ、親としてワシは死んでも死に切れんきに。
ワシは家族に救われた。そのワシが言うんじゃき。世界で何が一番大切か。みんな、家族が一番よ。家族は大事にせないかんぜよ。
(大きな乗りもの 2003年7月号)



