【しあわせになる本の紹介】 No.09
生きているうちに喧嘩できる相手に感謝しな。
|
亡くしてわかる女房のありがたさ
昨年、女房の七回忌だった。今でも女房のことを思い出すと、涙がジワーッて出るんだ。これ、時間が経つと大丈夫になるのかなって思ったけど、どんなに時間が経っても変わんないね。年をとった分、余計に辛くなるってこともあるね。
「男やもめにウジがわき、女やもめに花が咲く」っていうけど、本当にその通りだよ。一人になって、とにかく仕事が増えた。買い物、料理、片付け、どれ一つとっても、男にはすごい労力だ。その点、女の人っていうのは、炊事も洗濯も子育ても、当たり前にやっているわけでしょう。すごいよなあ。本当に偉いと思うよ。亡くしてわかる女房のありがたさだね。
俺は典型的な亭主関白で、ずっと仕事一筋の人生を送ってきた。家の中のことや子育ては全部、女房任せにしてきたから、家の中のことは何にもわかんねえんだ。どこに何が置いてあるのかもわかんねえ。女房が死んで、病院から家に戻ってきた次の日の朝、通夜だから背広に着替えた。ところがカフスボタンが見つかんない。どこ探してもないんだ。横になっている女房に、いつもの調子で「おい、カフスボタンは?」って聞きそうになって、はたと気がついた。
「ああ、そうだった。昨日、女房は死んだんだ」
死んだっていう実感がわかないんだなあ。
その後は、ただもう無我夢中だったよ。
17歳と18歳の恋、そして結婚
俺は昔からガキ大将で、地元のワルのリーダーだった。中学を卒業して普通の高校を受験したんだけど、「こいつがうちの高校に入ったら大変だ」というので落とされたらしい(笑)。定時制高校に通いながら、トラックを扱うディーラー会社に就職したんだ。17歳の時。その時、職場で出会ったのが1つ年上の女房だ。初恋だった。そして、俺にとって初めての女だった。こう見えて、硬派なんだよ(笑)。
女房は、俺と違って地元の旧家の娘で、進学高校を卒業した。女房の兄さんは医者だ。向こうの家族は俺との交際には反対だったけど、俺、結婚するまで目茶苦茶に仕事をして、出世して工場長になっていたからね、向こうの家族もそんな俺を認めてくれたと思う。
24歳の時、晴れて所帯を持ったんだ。昭和40年代、日本の高度成長期だ。
サービス部門(修理)の責任者だった俺も休みなく働いたよ。夜中も日曜日も関係なく、お客さんから「故障した。来てくれ」って家に電話がかかってくるんだ。お客さんが困っているのに、行かないわけにはいかない。夜は一杯入ってるから、女房の運転で現場まですっ飛んで行ったもんだ。「おい、行くぞ」って言うと、女房も「あいよっ」って調子さあ。損得勘定のない俺であり、女房だったね。
39歳の時、脱サラした。世の中学歴社会だから、自分の将来も見えてきたんだ。女房に手伝ってもらって、健康食品や健康器具なんかを扱う商売を始めたら、これが大当たりしてね。健康志向ブームに沸いた頃だったから、ひと財産を築いたよ。220坪の土地を買って、家と事務所を建てた。毎年、お袋と家族を連れて旅行にも出かけた。40代は日の出のごとく、事業を拡大していった時期だったな。
これが運命だと受け入れた。後悔はない
50歳になる頃、女房が腰が痛いと言い始めた。3つ目の病院で、ようやく大腸ガンだとわかったんだ。すぐに手術した。かなり進行していたけど、不安なんてなかったよ。俺も女房も、絶対に治るって信じていたからね。
それから2年余り、俺たち夫婦の生活は穏やかだった。再発して、また病院に行った時は全身にガンが転移していた。悔しかったよ。もう治療をしないで自然に過ごしたいと本人が希望したんで、俺も同意した。兄さんの病院に入院して、最期は俺と子供と孫が見看った。53歳だった。
若い頃は佐久間良子に似ているってよく言われたなあ。太陽みたいに明るくて、威勢がよくて。きれい好きで、家中いつもキチンと片づいていて。人の面倒見がよくて、人をまとめるのがうまくて。口で何か言うより、先に体が動くっていう女房だった。観音さまみたいな女だった。仕事が早かった分、死ぬのも早いや。せめて60歳まで一緒に生きたかった。
まさか俺より先に女房が逝くなんて考えたこともなかったから、ずいぶん戸惑った。荒れた時もあったさ。口には出せねえが。
でも、思うんだ。どんなに仲のいい夫婦でも、いつかどっちかが先に死んで、どっちかが一人になる。それが遅いか早いかだけの違いで、俺の場合ちっと早かったということだな。これが女房の運命だったんだろう。後悔はない。「安心してくれ、成仏してくれ」。辛いけど、それが女房に対する孝行なんだと思うようになったよ。
傷心の最中、全財産を失う
20年来の友人だった。女房が手術を受けた直後、「助けてくれ。保証人になってくれ」って俺のところに来たんだ。友人を助けたいっていう気持ちと、人助けをしたら女房も助かるような気がした。「人助けになるならやってやればいいんじゃないの」なんて女房も言うし、その気になった。
「銭はねえけど、保証人ならなってやるよ」
そう言って、自分の土地と家屋敷を担保に銀行から1億8,000万円を借りたんだ。今になってみると、心の隙をつかれたんだね。友人の負債を背負ったのは俺だけじゃねえ。その人の関係で自殺したり、病気になって死んだのは3人もいるんだ。
俺も一時、うつ病みたいになった。生まれて初めてアパート暮らしを経験したり、親戚や友達の家を転々と泊まり歩いたこともある。女房なくして、その上、全財産なくしたんだ、俺だって自殺してもおかしくない状況だったが、死のうとは思わなかった。
なぜって? それは先祖供養をやっていたお袋のお蔭だね。俺は名ばかりのこころの会会員だが、先祖が見ているぞっていう思いが自殺を止まらせたと思う。自分と先祖がつながっているってことを実感しているんだ。これは確かだよ。
それと、周りの人に恵まれたんだね。兄弟衆、子供、友達、皆いいんだ。俺は人に裏切られたけど、今まで一度も人を裏切ったことはねえからな。人との出会いを大事にして、損得なしで生きてきた。だから、俺が大変な時には人が集まってくれるんだと思う。これっていうのは過去の生き方なんだ。
腹わた煮え返る思いをしたこと、思い出さないっていったら嘘になるが、過ぎたことだ。しょうがねえや。自分でつくった財産を自分でなくしたんだから、悔やまねえよ。
すべてなくしたら、不安も一緒になくなるもんだよ
今までガツガツ仕事してきた。からっけつで始めた事業も成功した。家を建てた、財産をつくった。でも、女房の棺には何一つ、入れられなかったよ。あん時も「ああ、最期は何にもいらねえんだなあ」って思った。土地や家を持つのも、なくなってみれば仮の姿だね。
財産って、あるから不安なんだ。減らしたくないからね。すべてなくしたら、不安も一緒になくなるもんだよ。もし、今、あの財産があったら、俺はきっと酒と女に溺れていたと思う。人の人生を狂わすようなことをしたかもしれない。そうならないように、女房が持っていってくれたのかもしんねえな。
俺は目に見える財産は失ったが、見えない財産が数多くあるってことに気がついた。一つは、親からもらった健康な体だ。それと、俺の大きな財産は人だね。親戚や子供に限らず、俺にはたくさんの友人や協力者がいること。これは心の財産だ。健康食品を売っていた時も、俺は売るだけで終わらなかった。効果はどうかって最後までつきあった。だから、お客さんは俺という人間を信頼してくれた。金がある時は、友人のために惜しまず使ったもんさ。そういう人たちが全国に散らばって、今でも仕事の後押しをしてくれるんだ。
もうすぐ、新しい事業を立ち上げるんだが、そのきっかけをつくってくれたのも友人だ。新しい目標ができて、もう一回、やれるところまでやって城を築こうって思っている。燃えてるんだ、今。
こうなるまでちょっと時間がかかったけど、人間ってのは目標ができると、元気が出るもんだね。それと、迷わず本当のことが言えるようになる。自分のこと、こんなにしゃべったのは初めてだよ。
生きているうちに喧嘩できる相手に感謝しな。喧嘩できる相手がいるっていうのは幸せだよ。
(大きな乗りもの 2001年11月号)



