【しあわせになる本の紹介】 No.08

四歳半で突然死。
子を失った母が悲しみの中から把んだもの。
「それでも自分をやめてしまうわけにはいかない」

栃木県足利市 大竹恵子(40歳)

 平成11年2月15日――。
この日を、私は一生忘れることができません。2年半前のこの日、幼稚園に通う当時4歳5カ月になる次男の亮が、短い人生の幕を閉じたのです。それは、やさしい主人とかわいい3人の子供たちに囲まれて、裕福ではなくても、本当に幸せな日々を送っていた私たち一家を突然に襲った出来事でした。

悲しみの始まり

 平成11年2月13日の土曜日。実家の惣菜配達の仕事を手伝っていた私は、この日も亮を連れて両親と共に配達に精を出しました。
配達が終わり、お蕎麦でも食べようということになり、蕎麦屋に寄ったのですが、そこで亮が食べた物をもどし始めたのです。それまで元気だった子供の、突然の変化でした。それが、悲しい出来事の始まりでした。
家に帰って来てからももどしました。どうしたんだろう……。明日の日曜日はバレンタインデーで、今日のうちにもらったチョコレートをいっぱい食べたので、そのせいかな。そう思いました。
「亮クン、チョコレート食べ過ぎて、お腹こわしちゃったんだ。明日になっても調子が悪かったらお医者さんに見てもらおうね」
そう言って、亮を寝かしつけました。寝てからも何回かもどしました。でも、その時は熱はありませんでした。その後、少しウトウトしたようです。しかし、その間に熱がグンと上がっていたのです。それに気づきませんでした。
そして、14日の明け方の6時少し前に、ケイレンを起こしたのです。ビックリしました。あわてて救急車を呼び、救急病院に連れて行きました。その時点では、「落ち着いてるようだから、このまま少し様子を見ましょう」ということで、とりあえず入院をしました。

突然の死

 ところが、その日の夕方には、血圧も測れないような状態になってしまったのです。先生もビックリするほどの急変でした。
「こういうふうに急激に悪化するというのは、脳に細菌が入ってしまったとしか考えられません。少し長くなるかもしれませんけど、一生懸命に治療しますから。一応、家に帰っててください」
先生のその言葉に従い、家に帰りました。
しかし、翌15日の早朝4時頃、亮の容態が急変したのです。連絡をもらって病院に駆けつけた時には、もうほとんど意識がありませんでした。
そして、亮は、具合が悪くなってから一日半という短い間に、あっけなく亡くなってしまったのです。最終的にはインフルエンザ脳炎ということでした。
亮が亡くなってからまもなく、テレビや新聞でもインフルエンザ脳炎が流行っているニュースが取り上げられるようになり、亡くなった方もたくさんおられました。インフルエンザ脳炎にはいろいろな種類があるらしく、最初に高い熱が出るものもあれば、最初はもどしたりという症状が出て、その後に高熱を発するものもあるということでした。
亮もそうだったんだなあ。もし最初に、亮の具合が悪くなった時点で、そこに気がいっていたら……。悔やまれてなりません。

もう亮クンはいない…

 子供が好きで、幼児教育科を卒業して幼稚園に勤めたこともある私は、子供のことは何でもわかっている気でいました。そして、本当に楽しい毎日を送っていました。私は、そうした楽しい生活がずっと続いていくものとばかり思っていたのです。子供がいなくなるなんて、私の想像のらち外でした。
亮は、とにかく元気な子でした。やんちゃで、でも素直で、あまり手のかからない子でした。のびのびと育っていました。3年保育で幼稚園に入園し、あとすこしで1年になろうとしていました。
その亮が突然いなくなったのです。5人家族を4年半やってきただけに、4人だけの生活というものは、私には考えられませんでした。中学生の時にかわいい3歳の妹を亡くしている私は、当時と同じように “この世の無常” を感じました。
昨日までいた子が、今日はいなくなっちゃってる。でも、今までと同じように朝になると陽が昇って、夕方になると陽が落ちる。世の中は何もかもが今まで通り動いていく。何もなかったかのように、時間というものは時を刻んでいくんだな。
でも、亮はいないんです。オモチャも、服も、何もかもがそのままなのに、当の本人だけがいない。何事もなかったかのように時が過ぎていくことがたまらなく、とてもせつなく、自分自身の気持ちをどうすることもできませんでした。なんで、どうして……。亮がいないという現実を考えるのがイヤでイヤで、悲しくて、納得がいかなくて……。
私は、毎日、泣いてばかりいました。何をする気も起きず、頭の中がバラバラになってしまったような気持ちでした。食事ものどを通らない、動悸はする、精神安定剤を飲んでもほとんど眠れない、独りでいるのがイヤで、暗いところが怖くて……そんな状態が続きました。これでは心も体も病気になってしまう。頭ではそれがわかっているんです。でも普通の生活ができませんでした。
本当に、もう死んでしまいたいと何度も思いました。

現実を受け入れられない

 周りのみんなは、当然のごとく慰めてくれました。その気持ちはとてもありがたく思いました。でも、ダメなんです。気休めにしか聞こえないんです。誰に何を言われても、私の心が受けつけないんです。
主人は可能な限り、何も言わず、ただそばにいてくれました。主人だって私と同じ気持ちだったと思います。かわいい子供を亡くして、悲しかったと思います。
子供たちも、一緒にお風呂に入ったり一緒に寝たりしていた弟を亡くしたんですから、悲しくないわけがありません。長男は、時々二階のベッドで、黙って独りで泣いている姿を見ました。長女は、未だに独りでお風呂に入るのもイヤで、2階で独りで寝るのもイヤで、怖いと言います。
それでも、主人も2人の子供たちも、そんな悲しみをおして、私を気遣ってくれました。
でも、その家族の思いにさえ気づかず、応えられない私でした。亡くなった亮のほうにばかり気持ちがいって、自分のことで精いっぱいで、主人や子供たちの気持ちを考える余裕がなかったのです。
気持ちの整理をつけるどころか、この現実をどう受け入れていいのかわからず、いえ、受け入れることなど、とてもできるものではありませんでした。

ママ、ボクはここにいるよ

 家族で遊びに行く気にもならず、お祝い事もしたくなくて、家族の写真さえ撮る気がしない毎日。まして亮も一緒に遊びに行った場所に遊びに行くなど、とんでもないことでした。なにせ亮がいないんですから。
たくましく立ち直り始めていた2人の子供たちにとっては、不満だったと思います。少しは私たちのほうを向いて、遊びにも連れて行ってほしい、そう思っていたと思います。当然です。でも、私はなかなか立ち直ることができず、前を向いて歩いていくことができませんでした。
それでも、徐々にですが、時間の経過と共に気持ちが落ち着いてきました。
そんな中、私の父が、「孫たちに」といって買ってきてくれたアマリリスの鉢植えが、亮が選んだ鉢だけがどんどん伸びて亮と同じぐらいの高さになり、一番早く花を咲かせたのを見たりすると、「ママ、ボクはここにいるよ。ガンバッテ」という亮の声が聞こえるような気がしてなりませんでした。 

あきらめきれない思い

 あきらめなくちゃいけないんだ。亡くなったことは、もうどうしようもないんだ、どうにもならないんだ。亮の分まで上の2人の子に愛情を注がなくちゃ。そうすればいいんだ。でも、あきらめきれない……。その狭間での葛藤の日々。
そんな状態が半年ほど続いた夏頃から、よく亮の夢を見るようになりました。
“私に会いに来てくれたんだ!”
私は、うれしくて仕方がありませんでした。でも、現実はもう抱きしめてやることもできないんです。思わず涙があふれてしまいました。目が覚めると、いつも朝の5時頃でした。
はじめは顔を見せてくれるだけでしたが、私の思いが伝わったかのように、次にはダッコをさせてくれ、その次には話をして……。私は夢の中で亮とのふれあいを楽しんでいました。しかし、現実の生活の中には、亮はいません。
一周忌が近づいたある日、やはり夢の中で亮に会った時、「亮くん、ママと一緒に帰ろ」と言いますと、亮は「ボクは帰れないんだ」と言います。「じゃあ、ママのおなかに入ってまた生まれてきてくれる?」と聞きますと、「うん」と。この夢は、今もずっと私の心の支えになっています。
その頃、知りあいの人から「亡くなった日が近づいてくると、やっぱり思い出しちゃうでしょう。悲しくなるでしょう」と言われましたが、なんと答えてよいかわかりませんでした。私は、毎日「亮くん、おはよう」「亮くん、おやすみ」って、1日として忘れることはなかったのですから。

子供たちの気遣い

 泣いていても、思い出に浸っていても、亮のためにはならない――。
私の気持ちが、少しずつですが、その方向に向かっていったのは、一周忌を過ぎてからでした。一周忌を過ぎると、ぱったりと亮の夢を見ることはなくなっていました。
主人や2人の子供たちは、相変わらず私に気を遣ってくれていました。私がふさぎ込んでいるのを、悲しそうに見ていました。「亮くんはいなくなったけど、オレたちがいるから、ママ、元気出して」とも言われました。
テレビにしても、小さな子供が出ている番組やコマーシャルになると、子供たちは私の顔をチラチラと見るんです。そして、さりげなくチャンネルを変えたり、消したりするんです。ママが泣いちゃうんじゃないかっていう表情で。その心配そうなまなざしに出合うと、本当に申し訳ない思いでいっぱいになりました。
“ママは亡くなった亮くんばかり見て、私たちのほうを見てくれない”
そんな思いが、ひしひしと伝わってきました。
このままじゃいけない。いつまでも私が悲しい顔をしていちゃいけない。それでは、子供たちだって明るくなれない。悲しみは悲しみとして心の奥にしまって、母親の私が元気に明るくしていないと、みんなが悲しむんだ。
本当に少しずつ、少しずつですが、私の心は、現実に一緒に暮らしている主人や子供たちに向かっていきました。
亡くなった当時は、何ごともなくいつもの通りに動いていく世の中、時間が切なく苦しかったのですが、その時間が私の心をいやしてくれました。
また、私の心が亮にばかり向いていた時には心が受けつけなかった、周りの人たちの言葉、態度、思い……、それらがどれだけ私の心を支え救ってくれたか。若い頃は自分一人の力で生きているような気でいた私でしたが、本当に人のやさしさを肌で感じました。これが人の心というものなんだ。家族をはじめ、たくさんの人のまごころに支えられ生かされているんだ。心の底からそれが実感できました。

決して切れない親と子の縁

 親と子としての縁は、決して切れるものではない。たとえどちらかが先に亡くなろうとも、心で確かにつながっている。そう思います。親子の絆というものを、亮の死によって教えられました。
今、親子の絆がより強くなった気がします。常に亮と一緒に生きている。以前にも増して、いつもそばにいてくれる。そんな思いです。
それは、一緒に生活している主人と2人の子供たちに対しても同じです。亡くなった亮も、元気にしている2人の子供も、同じ私の子供です。みんな同じようにかわいくて、同じように心配です。
この世の中は、ままならない。現実は現実として受け入れていくしかない。自分だけ現実から逃げているわけにはいかない。
どんなに辛いことがあっても、悲しくても、自分をやめてしまうことはできないし、生きていかなくてはならないんです。それしかないんです。
このことが私の心の底にポトンと落ちた時、私は前向きに歩いていくことができるようになりました。いつまでも亮くん、亮くんと言っていたのでは何も始まらない。自分のできることをやって、一生懸命に生きていこうと。
もちろん、まだまだ完全に立ち直ったとは言えません。未だに亮が着ていた服はタンスに入ったままで整理ができず、アルバムもなかなか見られません。それでも、以前は夫婦で話ができなかった亮の話も、最近は少しできるようになりました。家族でどこかに出かけることもできるようになりました。まだ家族で写真を撮る気にはなれませんが……。

思いを伝える日々

 今年の3月、亮が通っていた幼稚園の園長先生が訪ねて来られました。亮の写真を貼った卒園証書を持って来ていただいたんです。一周忌の時にも、三周忌も、命日にはみんなでお線香をあげに来てくれました。いつも気を遣ってくれていました。1年経っても、2s年経っても、こんなに亮のことを忘れず思ってくれているんだ。本当にありがたくて、うれしくて、涙が止まりませんでした。
納得なんかできなくて、とても受け入れることができなかった子供の死という現実。その悲しみの中からいろいろなことを学びました。いのちのはかなさ、いのちの尊さ、いのちの重さ、親子の縁、家族の絆、人のまごころ、そして自分が生きるということ……。
亮の死をムダにしてはならない。毎日の生活の中で、主人と確かな夫婦の関係を結び、2人の子供たちとしっかりと親と子の関係を築き上げていきたい。家族を築き上げていきたい。人にも築いてもらいたい。それが亮への供養だと思っています。
子供に対する虐待のニュースをよく見聞きします。友達や知り合いも、夫婦関係に悩んだり、子育てに悩んだりしています。時には「もう子供なんかいないほうが楽よね」といった言葉も耳にします。そのたびに涙がこぼれ、本当に心が痛みます。「そんなこと言っちゃダメだよ。親が子供を見てやらなかったら、誰が見るの?」。いろいろな話をしながら、大きな愛で子供を育ててほしい、そういう私の思いを伝えています。
少しでも私の思いを、できるだけ多くの人に伝えたいからです。失ってからその大切さに気づくのではなく、今、一緒に生活している中で喜びを感じてほしいと。
私は、亮のことで悩むことも、怒ることも、喜ぶこともできません。生きているからこそ悩むことができる幸せ。かけがえのないいのちを一緒に生きているんだよ。そう言いたいのです。

(大きな乗りもの 2001年8~9月号)

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