【しあわせになる本の紹介】 No.07
不登校と家庭内暴力。
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稼いでさえいれば…
私は2人姉妹の長女です。夫には跡取り娘という事情を話し、養子に入ってもらって20歳で結婚しました。
しかし、しっかり者の祖母と夫は意見が合わず、衝突して「一緒に家を出よう」という話になったんです。私は家を継ぐか、夫と家を出るかの選択を迫られました。夫を嫌いになったというわけではなかったのですが、小さい頃から祖父母に「陽子が家を継いでくれ」と言われて育った私は、家を出ることはできませんでした。結婚7年目、長男六歳と次男2歳の時のことです。
そして、離婚を機に働くようになりました。もともと専業主婦よりも仕事をしているほうが向いていると自分でも感じていたし、子供たちを養うために、生活を支えるためにと必死で働きました。職場でも、負けるものかと一生懸命に働き、飲み会もつきあいの一つだと考えて積極的に参加しました。そうしないと、女性ということもあって、置いていかれるような気がしていました。また、仲間はずれにされるのも嫌だったんです。
もちろん、子供たちのことも頭にありました。でも、母が母親代わりに面倒を見てくれている安心感もあったし、休みの日に一緒に出かけてさえいれば、子供はさびしいなんて思わないと思っていたんです。現に息子たちは2人とも、手のかからないいい子でした。
また、私より母になついていたので、私は仕事に専念できました。私が働くことで生活が豊かになれば、子供たちも幸せなんだと思いこんでいたんですね。
破壊を繰り返す次男
そんな生活の中、活発だった次男の様子が、中学校に入ってから変わってきました。中学1年から「おなかが痛い」と言って、学校へは行ったり行かなかったり。2年生になると「ちゃんと学校へ行きなよ」と言うと吐いてしまう。ずっと部屋に閉じこもって、昼と夜が逆転して、ゲームをしたり、テレビを見たりの生活。毎日の食事は母が用意してくれていたので、日によっては一日中、次男と顔を合わせない日もありました。
そして、3年生になると家庭内暴力が始まったんです。家の壁を穴だらけにして、自分の手から血を流しながらも拳を上げる。とにかくすごい暴れようでした。人に対してというより物に対して激しくて、イスや鏡とあらゆる物を壊し続けるようになっていきました。
そんな次男に対して、私の父母は学校のことにふれないように……、怒らせないように……と、ただ遠巻きにオロオロするばかり。長男だけは父親代わりという意識もあってか、「なんでお前は学校へ行かないんだ!」って厳しく詰め寄ることもありました。でも、次男は「父親でもないのに、偉そうに威張りやがって」と反抗し、逆に長男に向かっていき、殴られる寸前で止めに入るようなこともしばしばありました。
母親であるはずの私でさえ、上目使いに睨む次男が怖かった。自分でも、なんて情けない親だと思いながらも “学校へ行きたいと言うまで、待つしかない” と次男の顔色を見ながらの生活。家中が重い空気で会話がなく、お通夜がずっと続いている感じの地獄の毎日でした。
私は、あの子の何なん?
私はこのままではいけないと感じて、不登校の問題を考える講習会にも積極的に参加しました。また、担任の先生とカウンセリングの先生との三者面談にも、月一回は通っていました。でも、結局は “待つしかない” ということでした。私自身も、 “うちの子だけじゃないんだ” という自分への気休めと安心感だけで、状況は何も変わらない。
その当時は、いろんな人に相談もしました。アドバイスももらいました。でも、「そうだね、そうだね」と口では言いながら、胸には全然落ちていなかった。そんな中で、同じようにシングルで子育てをしている仲間に、「あんた、あの子のいったい何なの? 親と子がちゃんと向き合わなきゃいかんじゃん!」と真剣に怒られたんです。その言葉は同じ立場の人の話でもあったし、素直に胸にスッと落ちて「何か行動を起こさなくては……」と思えたんです。
そして、自分を振り返って見えてきたのは、今までの自分の姿でした。私自身、父親がいないことですごく世間体を気にしていました。だから、子供たちに「父さんがいないから、しっかりな」と、父親がいないことで一番さびしいはずの子供たちに、自分の思いばかりを押しつけていたことに気がついたんです。息子の問題の原因は、私の中にもあると思い始めました。
そう思うと、もう待つだけでは仕方ない。 “自分が変わらなきゃ” と、息子の問題から自分の問題へと変わっていたんです。叩かれようが何されようが、正面から息子にぶつかっていくしかない。ここでやらなかったら、息子も私も、今までと同じだって。
「おっかあ、殺してくれよ!」
暴れた息子は、私に向かって「おっかあ! ロープで俺の首を絞めてくれ!」と叫びました。中学3年生でしたから、自分なりに将来のことも頭にあったんでしょうね。私が「そんなふうに言っちゃダメだよ。死んだら、終わりだよ」と慰めても、「そんなのおっかあの本心じゃない!」と言いました。
その言葉に正直、ドキッとしました。口では「あんたは大切な子だよ」と言っていても、心の中では “この子がいなければ……” と思ったことも事実あったんです。息子は毎日の私の接する態度や仕草から、私の心を感じ取っていたんですね。私が遠巻きに接していたことも、 “自分はいらない子” だと思わせていたのかもしれません。私は再度、「死んだら終わりだよ。一緒に生きよう!」と言ったのですが、暴走は止まりませんでした。
もう綺麗事を言っていても仕方ないと思って、無我夢中で息子の前に体を張って立ちはだかりました。「そんなに腹が立ったら、お母さんを殴りん!」。無言で毎日を過ごし、暴れる息子が、何を思って何がしたいのか、息子の思いを聞きたかったんです。
息子にガツンと一発、殴られました。すごく痛かった。でも、私を殴った後に「おっかあ、ごめん。痛かっただろう。今までおっかあは俺に気ばかりを遣って、俺には何も言ってくれなかった。おっかあが体ごとぶつかってきてくれたのが、本当はうれしかった」と息子は泣きました。息子と2人で抱き合って、初めて泣きました。私はこの一発で、息子がどんなに苦しい思いをしていたのかを身をもって知りました。
落ち着いた息子は、「俺、本当はさびしかったんだ」と話してくれました。私は子供たちに対して、離婚を機にずいぶん辛い思いをさせてしまったことを「ごめんね」と初めて謝りました。
息子の笑顔が戻る時
中学校で進路を決める段階になって、先生から定時制高校を勧められました。息子に話すと、「俺、高校へ行きてぇ」と言い出して、自分で学校へ願書を取りに行きました。
そのことをきっかけに、学校に再び通えるようになりました。3年生は始業式以来の登校で、卒業式の二週間前のことです。卒業式にはみんなと一緒に出席できて、友達に囲まれて笑っている息子の姿を見て、私は涙がこぼれました。今まで家では、あんな笑顔を一度も見たことがありませんでした。
息子は「俺、卒業式に出られてよかった。高校は絶対頑張って行くからな」と言ってくれて、その言葉通りに定時制高校に通い、無事に卒業。今は社会人として仕事を始めています。
働き始めた息子と会話が増えました。最近は、息子に励まされることもあります。私は顔に出やすい性格なのか? 「何かあっただか?」って、いつもと様子が違うと敏感にピンとくるようで、「俺が聞いてやるで、言ってみろ」と、どっちが親だかわかりません。時には「それは、おっかあが悪いわ」と怒られる時もあります。また、「大変だな」って慰めてくれる時もあります。逆に私も、息子が上司に怒られるとすぐにわかります。親子で似ているんですね。
今までの時間をお互いに取り戻したくて、話をしていてホントに楽しいんです。今は仕事をしていてよかったと思います。確かに専業主婦じゃなかった分、子供たちにはさびしい思いをさせましたが、職場の話は働いていた経験があるから私にもできるんです。そんなこともうれしいことの一つです。
親にしてもらった…
今では、息子は自分の気持ちを素直に話してくれます。「俺は婆ちゃんに育てられた。婆ちゃんがお母さんで、おっかあは金儲けだけの人だった」とか「おっかあは世間体ばかり気にしていて、嫌だった」とか、あまりに素直で私にとってはショックなこともあるんですが……。息子の言うことは事実ですし、そこからまた、自分を見つめ直すことができます。
実は私の両親も共働きで、私も祖母に育てられました。学校の運動会などの行事にも、両親が来てくれた記憶はありません。いつも祖父母が来てくれて、「どうして父や母は来てくれないんだろう?」とさびしかった。
親子で同じ思いを引きずっていたんです。息子に「さびしい」と言われなければ、そんな気持ちも忘れていたかもしれません。
私の両親も一生懸命に仕事をして、年に一回家族で旅行へ出かけてさえいれば、子供はさびしいなんて思わないと思っていたようです。私自身がさびしい思いをしていたにもかかわらず、子供たちにまったく同じことをして、結局はさびしい思いをさせていたんです。今はそんな思いを引き継がせたくないと、私なりに努力しているところです。
私も最近になって、母に「実は、私もさびしい気持ちがあった」と話したら、母も「エッ」って驚いていました。子供たちによって、親子の関係が修正されて、私を母親にしてくれた。子供たちが家族のあり方を教えてくれたように思います。たぶん、このことがなかったら、母だけど、母親じゃない、息子たちを私の母に任せたままで年をとっただけの、娘の私のままだったでしょうね(笑)。
ムダな時間ではなかった
息子が家で過ごしていた時間も、今はプラスにとらえています。現に息子は家にいる間にウェイトトレーニングで健康な体をつくったし、料理も上手になった。特にお好み焼きやクッキーは私よりも上手なんです。そして、美味しく食べるのが母親である私の役目(笑)。そんなふうにプラスに思えるようになったのも、学校の先生をはじめ、私の話を聞いてくれていろんなことを話してくれた仲間たちのおかげです。
いろんなところで、私たち親子は支えられていたと感謝しています。その思いを少しずつでも返していける自分になりたいと、親子でよく話しています。
今の世の中、不登校の問題は本当に多いです。だからこそ、私たち親子の経験も、これから人に話していきたいと思っています。こんな話ができるようになったのも、ごくごく最近のことです。息子の笑顔が見られる今が私の幸せ。そんな今を大切にしています。
今日は私にとっても、息子にとっても、特別な日。息子は夜勤明けで寝ていたので、「お誕生日おめでとう」とメッセージを書いて置いてきました。帰る頃には友達と出かけているかな!? 今では息子も友達と出かけることが多くなって、一人でいた時間を取り戻すかのように忙しいんです。
でも、今日は誕生日の息子のために、息子の好きなプリンを買って帰るつもりです。いくつになっても、私の息子ですから……。生まれてきてくれてありがとう!
(大きな乗りもの 2005年7月号)



