【しあわせになる本の紹介】 No.06
親が見栄、世間体を捨てた時
|
「学校がつまらない」
雅博 私たち夫婦には高校1年の娘と中学3年の息子がいます。息子は中学2年の2学期途中から、朝起きられなくなって、毎日、学校に遅刻するようになりました。
そんなある日、学校の先生から「今日、福井君は欠席でしたが、どうかしましたか?」という連絡がありました。息子に問いただすと、「朝、家を出たけど、学校に行ってもつまらないから多摩川で釣りをしていた」と言うんです。
釣りは、私が息子に教えました。私も釣り好きの親父から教えてもらったんです。子供たちが小さい頃から家族を連れて、よく釣りに行ったものです。
その影響からか、息子も釣りが好きになって、中学生になってからヘラブナ釣りやルアー釣りに凝り出しました。自宅から多摩川まで2、3分と近いので、学校帰りや休みの時はしょっちゅう釣りに行っていたんですが、学校を休んで釣りに行ったなんて初めてのことでした。
法子 中学1年の時はバドミントン部に入っていて、釣りと同じくらいクラブ活動も熱心だったんです。もともとスポーツが好きな子なんですが、同じクラブの中学3年の先輩と顧問の先生を慕っていて、好きな人たちがいるからやっていたようなものでした。
ところが、2年になって先輩が卒業し、顧問の先生も変わってしまったものだから、すっかりやる気をなくしてしまったんですね。クラブ活動もやめてしまいました。
それからは毎日、学校と家の往復です。担任の先生との相性は悪いし、周囲を見回しても気が合う仲間が少ない。勉強はできるほうではないから授業がわからなくなって、学校がつまらない。それで学校に行かなくなって、釣り仲間のほうに走ってしまいました。
親の焦り、重圧、ストレス
雅博 遅刻や欠席が目立つようになったので、私が朝、車で学校まで連れて行ったり、会社から家に電話をかけて、息子が学校に行ったかどうか確認することが何度かありましたね。
時折、息子と二人きりで話をして息子の気持ちを聞くことはありましたが、きつく叱ったり怒鳴ったりはしませんでした。父親と母親の両方から責めてはいけないと思ったからです。でも、その分、妻の負担は大きかったと思います。
法子 息子の気持ちなんかどうでもよくて、私はとにかく学校に行かせなくてはという一念でした。
先生から連絡がくるたびにプレッシャーがかかって、「早く起きなさい」「早く学校に行きなさい」と、どんどん息子を追い詰めました。それから息子は反抗的な態度を取るようになって、「うるせえ、ババア」なんてひどい言葉を言うようにもなりました。
そのうちに息子が「高校には行かない」と言い出したので、私、余計に焦ってきたんです。せめて人並みに高校くらいは……、という気持ちが強かったですから、なんとか学校に行かせなくてはと、その思いだけで息子と闘い続けました。
毎日、余裕がなくて、これ以上、悪いことは起きないんじゃないかというくらい、本当に地獄でした。
母と息子の修羅場
法子 上の娘はそれほど手がかからなかったんです。今まで、上の娘のことで何か心配したり悩んだことはありません。女の子と男の子の違いなのかもしれませんけど、模範生のような育ち方をしてしまったから(笑)、下の子がこうなって、私もどうしていいのかわからなかったんですね。
自分の思い通りにならなくて、ストレスは溜まる一方でした。
私も本当に辛かったんですよ。不登校の子供を持った親は、みんな、きっと同じ思いをしていると思います。何を言っても言うことをきかない息子に、もうほとほと疲れ切って、死んでしまいたいと思ったこともあります。
そのうち自暴自棄になって、ついお酒に手が伸びました。朝、主人を会社に送り出したあと、朝から狂うようにお酒を飲みました。
ある時、浴びるようにお酒を飲んでいる姿を息子に見られてしまったんです。「やめろ!」と、私からお酒を取り上げようとする息子と、それに必死で抵抗して飲み続けようとする私との大乱闘となりました。
「あんたが学校に行ってくれないんだったら、ママは死んだほうがましよ。あんたなんて、もうどうなってもいい。勝手にしなさい。ママは死にたい。もう、あんたなんてどうなってもいい!」
正気を失っても、なお息子を責め続けました。すると、息子は冷静にこう言いました。
「これ以上、酒飲んだら、あんた、狂うだろう。わかったから。オレ、取りあえず学校だけは行くから」
息子はその言葉通り、翌日から渋々、学校に行くようになりました。
よい母親を演じたかった自分
法子 息子が学校に行くようになったのは、私を安心させるためです。そうしないと、私が本当に狂ってしまうと、息子なりに考えたんだと思います。だから、形だけ。中身はちっとも変わりませんでした。
変わったのは、むしろ私のほうです。息子との大乱闘があって、いい具合に力が抜けたのかもしれません。何か吹っ切れて、高校なんてどうでもいいや、とにかく元気でいればそれでいいと思うようになりました。
考えてみれば、私も勉強が苦手で、中学時代は辛かったんです。そんな私が息子には、「人並みに」とか「せめて高校くらいは」なんて言っているんですよね。それは子供のことを本当に心配していたのではなくて、世間体を気にしていたからです。見栄や世間体を考えた、やけ酒だったんです。
最初から息子のことを心配していたら、お酒に走らなかったと思います。息子と闘っているようでいて、実は世間と葛藤していたんですね。私自身、よい母親でいたいという気持ちが強くて、子供を型にはめようとしていたのかもしれません。
それで私、世間を捨てました(笑)。本人が望まなければ、別の生き方を選んでもいいじゃないって。「高校に行きたいなら行けばいいし、行きたくないならやめなさい」と言える勇気を持てました。
不思議なもので、私がそう思うようになった途端、息子が振り向いてくれるようになったんです。今までずっと背中を向けてきた息子が、私たちをきちんと見るようになりました。親が少しでも世間体を気にしていると、子供は見抜きますね。私、そう思います。
子供は親を見ていないようでよく見ています。誤魔化しがききません。
息子を変えた出来事
雅博 家族でボーリングに行ったり、食事に行ったりして、みんなの心がバラバラにならないようにつなぎとめる努力をしました。
そして、息子は中学3年になりました。
4月のある日、息子が多摩川で釣りをしていると、釣りの専門雑誌の編集長から「君、釣りが上手だね。今度の土曜日、取材させてくれないか」と声をかけられたそうです。息子はそのことを私たちにうれしそうに話してくれました。
なんでもその編集長は、去年、多摩川で息子を見かけて、それからずっと息子をさがしていたそうです。普段から釣りの大会には出ていますし、大人の中に混じっても結構釣るようです。親の欲目かもしれませんが、中学生にしてはうまいほうだと思っています。
取材が終わり、それが雑誌になって我が家に届きました。写真入りの2ページの記事でした。勉強よりも釣りが好きだとか、釣りに行かない時はゲームセンターに行ったり、吉祥寺で女の子をナンパしているとか、たわいのない記事なんですけど、写真の中の息子の顔は生き生きと輝いていて、普段私たちが見ることのない表情でした。
法子 親バカですよねえ。普段は知らん顔しているのに、本屋でその雑誌を2、3冊買い込んで、近所の人や友達に見せて歩きましたよ(笑)。小さい頃は漁師になりたいと言っていたくらい、釣りが好きな子なんです。
前はよく、「釣りなんてしないで勉強しなさい」と、口を酸っぱくして言っていましたが、最近は言わなくなりました。だって、あの子から釣りを取り上げたら何も残らないもの。
雅博 それから息子が変わったんです。私たちが何をやっても言っても、全然変わらなかった息子が、雑誌の取材を受けてから学校を休まなくなりました。
自分の存在を認められて…
雅博 ある方がアメリカの学生と日本の学生の違いについて話されていました。アメリカの学生は、将来、自分が仕事を持って働くために必要だから一生懸命に勉強するけれども、日本の学生の多くは、特に将来の目標もなく、なんとなく入って卒業する。本当に勉強したいと思って高校や大学に入る学生は少ないかもしれないという話でした。
身につまされる話でした。子供本人の意識どころか、親の私たちこそ、勉強をしたくないと言っている息子を、無理矢理高校に行かせようとしていたんですから。
それで、家に帰って息子に聞いてみたんです。高校に行きたいのか行きたくないのか、勉強をしたいのかしたくないのか。私は「行きたくないなら、無理に高校に行く必要はないよ」とはっきり言いました。
息子の返事は意外でした。
「僕は将来、釣りのインストラクターになりたいんだ。だから、高校に行きたい」
あれだけ高校には行かないと言っていたのに、今度は自分から行きたいと言ったんです。他人に自分の存在を認めてもらって、自信を持ったんだと思います。案外、親の言うことよりも、よそ様に言われたほうが素直に聞き入れることができるのかもしれませんね。
親の思いを押しつけていた
雅博 息子は高校に行くという目標ができて、3年の1学期は1日も学校を休んでいないし、家でも勉強するようになりました。
そんな息子の最近の姿を見ているうちに、私は息子を理解しているようで、実は自分の思いを押しつけていたのではないか。息子が本当に何をしたいのか、わからなかった自分に気がつきました。
よく、「子は親を見て育つ」と言いますけど、息子は昔の私にそっくりなんです(笑)。私も親父にはことごとく反抗していたし、暴言も吐きました。昔、自分がやってきたことを今、子供がやっているんですね。
その時は自分が正しいと思って突っ走っているんですが、この年になって、あの時、親父が言っていたことがわかってきたということも多いんですね。
だから、これからは自分がその年齢だった頃を思い出しながら、子供の目線で息子に接していこうと思っています。
法子 今、少しずつ軌道修正している感じです。この先、どうなるかわかりませんが、息子がどんなふうに変わろうとも、どんな道に進もうとも、二人であたたかく見守っていきたいと思っています。
(大きな乗りもの 2005年9月号)



