【しあわせになる本の紹介】 No.05
若者たちと、今、真剣に関わっていこう。
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経営者としての心の構え
私は大阪狭山市で「ときわや」という焼き鳥屋を個人経営しています。平成7年10月10日のオープンですから、もうすぐ10年になります。お陰さまで少しずつ人の縁が広がって、大勢のお客さまに来ていただけるようになりました。
開業した時、私は決めたことが二つあります。一つは、家庭的な雰囲気の店にすること。店のコンセプトはズバリ “家族” なんです(笑)。ただ、限られた家族ではなく、来ていただいたすべてのお客さまに、家庭のような雰囲気の中でゆっくり食事と会話を楽しんでほしい。そんな空間をつくって、お客さまのお世話をするのが私たちの仕事だと思っています。
もう一つは、店を通じて社会貢献していくことです。焼き鳥屋のオヤジが大きなことを言うようですが、私は “日本を良くしたい” と真剣に思っています。
今、自分がやりたいこと、好きなことが見つけられない子供が多いですね。とりあえず大学に行って、とりあえず就職して、それで幸せな人生が送れますか? 日本が良くなりますか? なぜこうなったのかと考えると、私が思うに大人が手を抜いているからです。
たとえば、コンビニに行くと店の前はゴミだらけ、中に入ると高校生らしいバイトがお喋りをしている。いったいどうなっているんだと。その子らに腹が立つのではなく、私は店の経営者に腹が立つんです。
経営者として一番大きな社会貢献は何かと考えた時、人を育てていくことじゃないかって。一人で大きなことはできないですが、自分が関わる子から、真剣に関わっていきたい。
心を養う場
店のスタッフは、将来独立を希望するレギュラースタッフ一名、昼の仕込みを手伝ってもらっているパート3名、それとアルバイトスタッフ6名(パート、アルバイトスタッフはローテーション)です。
アルバイトは最低でも1年以上、長期で働けることが条件で、短期のバイトは採用していません。目先のお金が目的なら、仕事は他にいくらでもあります。そうではなくて、接客という仕事を通じて社会勉強に来てほしいと言うんです。
いろんな人に出会って、いろんな人と接する中で、自分が本当にしたいことや好きなことが見えてくると思うんです。だから、もし高校でクラブに入っていなかったら、ここは課外活動の社会部だと(笑)。
私は接客のノウハウは教えません。マニュアルもありません。どんなに時間がかかってもいいから、本当のサービスとは何かを自分で考えてもらいます。相手の立場に立って、相手がどうしてほしいかを感じて、行動する。タイミングや状況判断、機転をきかすことも大事です。
それが一番、心を養う勉強になるし、将来、どんな職業に就いても、この経験はいろいろな場面で生きてくるはずです。
アルバイトの先輩は後輩を育てて出ていく時が「ときわや」の卒業式(笑)。自分で得たノウハウを自分の言葉で次の人に伝えることで、いろんなことが腹に落ちるんです。自覚と責任も出てきます。これまで、大勢の卒業生が巣立っていきました。
十八歳の別れ道
やはり私も大勢の方に支えてもらって、教えられて、現在があります。大事な場面で、大事な人に出会って、大事なことを示してもらいました。
飲食業界に入ったのは、高校3年生の秋。北京料理店でアルバイトをしたのがきっかけでした。機械設計の会社に就職が決まって、運転免許の資金稼ぎのつもりで行ったのですが、店の社長から「うちに来ないか」と誘いを受けたんです。これは大きな別れ道だと直感しました。
その頃、将来何になりたいかは決まってなくて、漠然と「人が好き」「将来は独立したい」ということだけ。料理の世界、接客業はまったく考えたことがありませんでした。機械と人のどっちが好きかといったら人だし、料理のほうが将来独立の可能性もあると考えて、最終的にこの誘いを受けることにしました。
最初の半年間はホールの仕事をして、それから調理場に入りました。包丁なんて持ったことがないから、本当にゼロからのスタートでした。
料理の世界は厳しいんです。揚げ場、切り場、焼き場、炊き場と順番があって、各調理場に一番手、二番手、三番手と料理人のポジションがあります。それを一つひとつ仕事を覚えて、上に進んでいくわけです。揚げ場からスタートして、炊き場へ辿り着くまでは、はるか遠い道のりでした。
先輩の手伝いをしながら仕事を覚えて、炊き場まで通常7、8年かかるところ、5年であがりました。23歳の年齢では異例なことでした。
独立の夢に向かって
料理人は、料理の腕を極めようとする人と独立をめざす人の二つのタイプに分かれます。私は後者でした。
北京料理は中華の会席料理のようなものですから、大衆的な料理を覚えるため、個人のラーメン屋、小料理店、中華料理店で勉強させてもらいました。
小料理屋で初めてカウンター越しに料理を作る経験をしたんですが、これが何とも自分に合うんです。お客さまをお迎えして、料理を作ったり、時には話もして、最後にお見送りする。自分のカラーが生かせるのは、こういう仕事だと思いました。
京都で割烹や寿司屋などを経営しているオーナーを紹介され、ここで2年間、和食と経営の勉強をしました。
そして飛び込んだのが、大阪の「大吉」です。焼き鳥店のフランチャイズ・チェーン店で、少ない資金(当時、150万円)で独立を支援してくれるんです。でも、友人にお金を貸してしまって、資金が足りませんでした。
それを正直に社長に言うと、「帰れ」と一喝されました。「焼き鳥屋一軒出すのに、わしらは1,000万~1,500万投資するんや。どんな事情があるにせよ、その若さで人に金を貸すなんて甘い。そんな金銭感覚の人間が商売したら駄目や。帰れ」って。それでも食い下がって、何とか条件付で採用してもらいました。
条件というのは、一年間、研修店で研修生のお世話をすること。社長は「脱サラでみんな、必死なんや。その姿を見たら、いろんなことを感じるやろ。お前には勉強になるはずや」と。
「繁盛してるのに、なんで…」
昭和63年7月19日、「大吉」松原店オープン。26歳で、ついに店を任されたのです。5坪、15席という小さい店でしたが、女房も店を手伝ってくれて、毎日、意気揚々と仕事をしました。
お客さまに恵まれ、店は繁盛しました。3年で1,000万円、貯めたんです。店は買い取りの制度があったんですが、社長には内緒でそれを全部、頭金に入れて家を購入しました。バブル最盛期の頃で、投資目的でした。
店は相変わらず繁盛して忙しいのに、この頃から少しずつ違和感を覚えるんです。店で独立をめざすレギュラースタッフ1名を預かっているんですが、長続きしない。結局、一年の間に3人が相次いで辞めました。
夜中、一人で焼台を洗いながら、「今までうまく回ってきたのに、人が離れるのは何でやろ」と考えました。考えて考えて、「全部、自分やな」ってわかったんです。
一人目の子は、子供の時に両親が離婚していて、離婚した父親が時々小遣いをせびりに店に来ていました。いろんな問題を抱えて、心がパンクしていたと思うんです。それに気づかず、私は家のローンや自分の将来のことばかり考えていました。そういう時は自分と同じ心の人とめぐりあうんですね。
二人目は無断欠勤が多くて、平気で人を裏切る子でした。三人目は30代で、これが最後の賭けと言って、切羽詰まった状況でうちに来ました。
この頃、妻が妊娠して店の手伝いができなくなっていたので、一日でも早くレギュラーがほしかったんです。早く人手がほしい私と、早く独立したいスタッフ。互いに相手を利用したいだけで、本音は同じです。結局、どんなに上辺だけ繕っても駄目で、本音(心)を磨いて、自分が本物にならない限り、本物とはめぐりあえないんだということを実感しました。
この時、オリジナルの店を出して、在家仏教こころの会から生まれる考え方を生かした経営者になろうと胸に刻みました。それが現在の「ときわや」です。
真剣に人と関わる
いろんなアルバイトがいます。挨拶ができない子もいて、家ではどうなのと聞くと、「しない」と言います。これまでがそうなんですから、その子をそれだけで怒るわけにはいきません。「毎日、気持ちよく生活するには、挨拶から始まったほうがええやないか。明日、朝起きたら、お父さんやお母さんに “おはよう” と自分から言ってみ。自分が変われば、周りも変わるよ。影響を受ける側ではなく、少しでも周りによい影響を与える人間になろう。自分からやってみ。やってみないと何もわからへんよ」。「ときわや」の社会勉強は、こんなところから始まります。
店の経営は、自分一人だけではできません。私自身、若い頃は自分の力で何でもできると心の頭が上がっていた時もありましたけど、今は違います。ですから、店も人も社会も、みんな関わり合っていることを教えるんです。
「店は鳥屋さん、酒屋さん、箸屋さんなど、いろいろな業者さんが関わって応援してくれるからやっていける。こんな小さな店やけど、大勢の人たちの生活もかかっているんや。いい加減なことをしては絶対にあかん。責任を持たないとあかん」と教えると、みんな、目の色が変わります。
物事の道理、道筋をきちんと教えていけば、どんな子でも理解します。今、それを教えてくれる大人が周りに少ないんです。大勢の方々にお願いしたい。どうか、自分が関わっている子供たちに、自分の都合ではなく、真剣に関わってください。
人の縁を広げていきたい
最初は自分の将来を決められない子が多いんですが、目標が決まると仕事ぶりも変わりますね。今やっていることが、将来、生きてくるんだと実感するんだと思います。自分が本当にやりたいことを見つけて、それに向かって頑張っている若者が一人でも二人でも増えれば、良い世の中になるんじゃないかな。まずは、大阪狭山市から良くしようと言っています。
うれしいことに、アルバイトの親が店に挨拶に来て、「バイトを始めてから、息子が変わりました」と言ってくれます。また、アルバイトの家族や知り合いが店に来てくれて、店の雰囲気が “家族” のようになっています(笑)。
今ではアルバイト募集の情報は、親同士、子供同士の口コミです。商売といえども、人と人とのつきあいなんですね。縁の広がりが繁盛店をつくるわけで、人を育て、人に縁のある店を一つ一つ増やしていきたいと思っています。
私自身は、この仕事は天職だと思っています。毎日、好きな仕事ができて、家族と暮らせていけるんですから、私は本当に幸せです。
ただ、反省するのは家族のこと。仕事の時間帯が夕方から深夜に及ぶので、家族とはすれ違いの生活です。人のお世話に熱心になり、家族のことは後回しになっていたので、女房には「いつも人のことばっかり言っているし、好きなことばかりやっている」と言われます。
女房とは、最初に勤めた北京料理の店で知り合いました。私が22歳、女房は18歳でした。それからずっと苦楽を共にしてきましたが、子育てや家の中のことは全部、女房任せで、ゆっくり話をすることも少なかったです。一番さびしい思いをしていたのは、女房かもしれないと思い、最近、これではいけないと思い始めています。
女房あっての自分、子供あっての自分。「家族」は私の元気の源です。家族の信頼を取り戻し、生涯かけて、女房を愛していきます。
(大きな乗りもの 2005年10月号)



